アフガン王国
アフガン人(パシュトゥーン人)が、1747年に成立させたアフガニスタンの王朝。イギリスの侵略と戦い、勝利をおさめた。
アフガニスタン王国とも言う。1747年にアフガニスタン一帯を支配していたイランのアフシャール朝のナーディルが死んだのを機に、アフガン人(パシュトゥーン人)はカンダハール近くで部族集会を開き、アフマド=シャー=ドゥッラーニーを王に選び独立を達成、ドゥッラーニー朝(~1818,1839~42)が成立した。都ははじめカンダハール、後にカーブルに遷される。
1850~60年代にいったん後退したロシア・イギリスのアフガニスタンへの進出は、1870年代に再び高まり、イギリスは1878年からふたたびアフガニスタンに出兵し、第2回アフガン戦争となった。ここでもアフガン軍は根強く抵抗したが、外交攻勢によって、1880年にイギリスの保護国とされた。
イギリスの保護国となってからも王政は続き、イギリスの主導下のもとで近代化が図られた。ロシアはその後も中央アジアからイラン・アフガニスタン方面への進出を続けていたが、極東での南下政策で衝突した日本との対立から、1904年に日露戦争となり、ロシアが日本に敗れたことを機に、ロシアとイギリスの協議が進み、1907年に英露協商が成立した。ロシアとイギリスは、イランでの勢力圏を分割するとともに、アフガニスタンについてはイギリスの勢力圏と認め、ロシア攻撃の拠点としないことで合意した。
しかしパキスタンとの対立からインド洋方面との道が閉ざされ、経済的な苦境が続く中で、1973年に前首相ダウドが軍と結んたクーデターによって王政は廃止された。
イギリスとの戦争
19世紀以来、ロシアの南下政策による侵出が顕著となり、インド支配への脅威と感じたイギリスはそれに対抗すべく、介入を強めた。アフガン王国はイギリス、ロシアの介入と、内紛のため安定せず、19世紀にはムハンマドザーイー朝(バーラクザーイー朝とも言う。1826~1973)に代わった。イギリスによるアフガニスタン侵略に対して、1838~42年の第1回アフガン戦争では、1841年にアフガン王国軍がイギリス軍を破って撤退させるという勝利を得た。1850~60年代にいったん後退したロシア・イギリスのアフガニスタンへの進出は、1870年代に再び高まり、イギリスは1878年からふたたびアフガニスタンに出兵し、第2回アフガン戦争となった。ここでもアフガン軍は根強く抵抗したが、外交攻勢によって、1880年にイギリスの保護国とされた。
イギリスの保護国となってからも王政は続き、イギリスの主導下のもとで近代化が図られた。ロシアはその後も中央アジアからイラン・アフガニスタン方面への進出を続けていたが、極東での南下政策で衝突した日本との対立から、1904年に日露戦争となり、ロシアが日本に敗れたことを機に、ロシアとイギリスの協議が進み、1907年に英露協商が成立した。ロシアとイギリスは、イランでの勢力圏を分割するとともに、アフガニスタンについてはイギリスの勢力圏と認め、ロシア攻撃の拠点としないことで合意した。
独立の回復と苦悩
第一次世界大戦後、インドの独立運動の激化など、イギリスのアジアにおける後退を受けて、アフガン王国は独立の機会と捉え、1918年にインドに侵攻し(第3次アフガン戦争)、イギリスとの間で1919年にラワルピンディー条約を締結して外交権を回復し、アフガニスタンの独立を回復した。国王アマヌッラー=ハーンはその後ソ連に接近し、その援助で急速な近代化を進めたが、部族勢力の反発を受け、内乱が発生した。1929年にはナーディル=シャーが内乱を鎮圧したがその後も不安定な状態が続いた。第二次世界大戦ではザヒル=シャーは中立外交を進め、戦後の冷戦期にも非同盟・中立を掲げ1955年のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)にも代表を送った。しかしパキスタンとの対立からインド洋方面との道が閉ざされ、経済的な苦境が続く中で、1973年に前首相ダウドが軍と結んたクーデターによって王政は廃止された。
アフガン王国滅亡後の混迷
ダウド政権は次第に独裁化し、その間、1960年代からソ連の影響を受けた人民民主党が台頭、軍部独裁政権との対立が深まり、1978年4月、再びクーデタで政権を倒し、親ソ連政権が誕生した。人民民主党が積極的に世俗化政策を推進すると、今度はイスラーム教のウラマー(法学者)や土豪などの保守勢力が反発し、人民民主党政権が危うくなると、翌1979年12月、ソ連(ブレジネフ政権)はアフガニスタン侵攻を決定、ソ連軍を派遣してイスラーム勢力に対する弾圧を行った。それに対してイスラーム原理主義勢力はゲリラ戦で対抗、その中でターリバーンが台頭した。ソ連軍は1989年に撤退したが、その後もアフガニスタン内戦が続いた。アフガニスタンの混迷の中から力をつけたイスラーム原理主義勢力が20世紀末から21世紀初頭の世界に大きな衝撃をもたらすこととなる。