サイゴン条約
1862年、ベトナムがフランス(ナポレオン3世)に対し、布教・通商の自由を認めコーチシナ東部を割譲。
フランスのナポレオン3世が、宣教師殺害に対する損害賠償などを口実として1858年に開始したインドシナ出兵(フランス=ベトナム戦争)の結果、1862年にベトナムの阮朝に認めさせた条約。ベトナムでは「1862年6月5日条約」と呼び、屈辱的なフランス植民地時代の幕開けとして記憶されている。特に、この条約でベトナム南部の一部(コーチシナ東部三省)がフランスに割譲されたことが重要。ベトナム植民地化の第一歩となった。 → ベトナム保護国化 フランス領インドシナ連邦
サイゴン条約の条項
- ベトナムはフランス・スペインによるキリスト教の布教を認める。
- コーチシナ東部の三省おおびプロコンドール島をフランスに割譲し、フランス・スペインに賠償金を支払う。
- ダナンとクァンイェンの両港を開港し、フランスとスペインの通商の自由を認め、カンボジアへの自由航行を認める。