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沿海州

ウスリー川の東側の日本海沿岸一帯。1860年の北京条約でロシア領とされた。日本海に面したウラジヴォストークに軍港を設け、ロシアの東方進出の拠点とした。それだけでなく、ロシアは広大な農業、鉱業、さらに沿海の漁業資源を獲得した。

 アムール川の支流で北流するウスリー川の東側の日本海に面した一帯である沿海州は、ネルチンスク条約では清の領土とされていたが、1858年の愛琿条約ではロシアと清の両国の共同管理とされた。さらに、アロー戦争後の1860年、清とロシア間の北京条約で、ロシア領とされた。ロシアは沿海州を獲得し、その南端の朝鮮との接点近くにウラジヴォストークを建設、念願の不凍港を獲得し、日本海から東アジア進出の足場とした。ロシアではプリモルスキー地方という。 → ロシアの東アジアへの侵出
 なお、日露戦争の講和条約として1905年に締結されたポーツマス条約では、沿海州とカムチャッカ半島沿岸の漁業権は日本に譲渡された。

Episode 『デルスウ・ウザーラ』

 黒沢明の映画で有名になった『デルスウ・ウザーラ』は、1906年にこの地を探険したロシア人の軍人アルセーエフが、現地のゴリド人の案内役デルスウ・ウザーラとの交流を軸に記録である。主人公デルスウ=ウザーラは極東シベリアの原野、森林に生きる狩人で、文明圏の人間には想像のつかない自然のなかでの生きる知恵をもっている。沿海州の森林を舞台とした探険談であるが、その厳しい自然と、その地を征服しようとするロシア人と現地人との関わりについて、詳しく伝えている。また黒沢明の映画は、監督以外のスタッフ・キャストをロシア人で固めた、スケールの大きな国際的作品であり、その制作エネルギーと圧倒的な自然の映像が見る人を圧倒する。原作はまだしも、黒沢明の映画はDVDでぜひ見てほしい。<アルセーエフ/長谷川四郎訳『デルスウ・ウザーラ』東洋文庫>

参考 イザベラ・バードの見た沿海州

イザベラ・バード
/時岡敬子訳
『朝鮮紀行』
1998 講談社学術文庫

 イギリスの女性旅行家イザベラ・バード(1831-1904)は日清戦争の最中、ウラジヴォストークを訪れ、開通して間もないウスリー鉄道(後に完成するシベリア鉄道の一部となる)に乗って沿海州を旅している。その紀行文にはわれわれにはロシア領となった沿海州の様子が伝えられている。
(引用)わたしたちはさらに二日かけて旅をつづけたが、ハンカ湖の湿原付近を通ったときをのぞいて、車窓はすばらしい農業地帯の風景が展開された。最初の30露里はビュッフェのあるスパスコエ駅まで、風車のある大きな村落が鉄道に沿ってみられる。深さが6フィート以上もある肥沃なローム層の石のない土壌からは、燕麦、小麦、大麦、トウモロコシ、ライ麦、ジャガイモ、タバコが大量に生産される。スパスコエからハンカ湖の東、アムール川に至る壮大な地域は人々が入ってくるのを待っているのである。  なるほどロシアの「太平洋岸帝国」と呼ばれるだけあって、シベリア東部はアムール地方と沿海州を含めて金、銅、鉄、鉛、石炭の豊富な88万㎢マイルの土地を擁し、その土壌は広大な面積にわたってかぎりなく肥沃である。清国は1860年に、現在ロシア領満洲と呼ばれる地域をロシアに割譲したとき、おそらくその農地としてのとほうもない可能性と鉱産物資源の豊かさを知らなかったのではないだろうか。<イザベラ・バード/時岡敬子訳『朝鮮紀行』1998 講談社学術文庫 p.316>
 
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