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ロスチャイルド家

ユダヤ系の金融資本。ドイツに始まり、イギリス、アメリカにも進出。イギリス帝国主義とも結びついた。

 ロスチャイルド(Rothschildの英語読み。フランス語ではロチルド、ドイツ語ではロートシルトと発音。家紋としていた「赤い楯」の意味で、もとは屋号だったものを姓とした。)家は、ユダヤ人の一族で、1760年代にフランクフルトで金融業を営んだ、初代マイヤー=アムシェルに始まり、その五人の子供が18世紀末から19世紀までに、フランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリにそれぞれ分かれ、全ヨーロッパに金融ネットワークを張りめぐらせた。その顧客には各国の王室やナポレオンなどの権力者がおり、また株式投資を通じて巨大な富を築いた。ナポレオンが大陸封鎖令を出すと、大陸でコーヒーや砂糖、タバコが品薄になるのを見越して密輸し、莫大な利益を得た。19世紀にはメッテルニヒ、ハプスブルク家に融資する一方、鉄道事業にも進出した。

帝国主義時代の財閥

 1875年にはイギリスの首相ディズレーリスエズ運河株買収に資金を提供、その帝国主義政策と結びつき、金融資本の典型的な例となった。なおエジプトといえば、ツタンカーメンの墓の発掘に成功したカーナヴォン卿に資金を提供したのもロスチャイルド財閥だった。

シオニズムを支援

 19世紀末から始まったユダヤ人のパレスチナ帰還を目指す運動であるシオニズムは、ロスチャイルド家の財政的支援のもとで行われた。ちなみにロスチャイルド家は全体で19世紀中に4億ポンド(今の日本円にして2兆2400億円)以上の富を集めたという推計がある。20世紀には石油(ロイヤル=ダッチ=シェル)事業、ダイヤモンド事業などにも進出した。
バルフォア宣言 第一次世界大戦中の1917年、イギリスのバルフォア宣言はユダヤ人のパレスチナでの国家建設を認めたものであるが、それもイギリス政府がロスチャイルド財閥の支援を取り付けるためであった。第一次世界大戦後は、民族運動や社会主義の台頭によって、あまりにも国家と深く結びついた大財閥のあり方は否定され、ロスチャイルド家も苦難の時期を迎えたが、現在は銀行経営やワイン製造などに集中してなおも世界経済に大きな影響力を持っている。<横山三四郎『ロスチャイルド家』1995 講談社現代新書>

Episode 情報戦を制し、大ばくちに成功したロスチャイルド

 エルバ島を脱出したナポレオン率いるフランス軍とウェリントン率いるイギリス軍のワーテルローでの決戦で、ウェリントン軍の勝利がはっきりした1815年6月19日の夜遅く、戦場の近くのオステンドからロスチャイルド家の使者が船に飛び乗ってドーバー海峡を越え、翌日未明、出迎えたロンドン支店のネイサン=ロスチャイルドに伝えた。ネイサンはただちにロンドンの金融街シティにある証券取引所に向かった。彼はウェリントン将軍の飛脚がロンドンに到着する前に、大ばくちを打った。イギリス国債を売りに出たのだ。当時はウェリントン軍不利の予想がされていたので、ネイサンが売りに出したのを見て人々はイギリス軍が敗北したと受け止めてパニックに陥り相場は急暴落した。ワーテルローの勝利の報せが届く直前に、ネイサンは二束三文になった国債の買いに転じ、一瞬のうちに巨利を得たのだった。電報も電話もなかった時代、伝書鳩でこの情報を知ったという説もあるが、ロスチャイルド家がドーバー海峡においていた自家用高速船を利用したのが真相らしい。ロスチャイルド家の群を抜いた情報網が、その大ばくちの勝利をもたらしたのだった。<横山三四郎『ロスチャイルド家』1995 講談社現代新書 p.68~>
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横山三四郎
『ロスチャイルド家』
1995 講談社現代新書