ヒンドゥ=スワラージ
『インドの自治』の意味で、1907年に発表されたガンディーの主著。サティヤーグラハ(非暴力・不服従)の思想を述べ、インド独立運動の指針となった。
1907年、ガンディーが南アフリカに本拠をおいていた時期に、請願のためロンドンに渡った際に在英インド人民族主義者と討論し、その帰りの船中、わずか10日で書き上げた。母語であるグジャラート語で書き、初めは南アフリカで発表、1910年にボンベイで小冊子として刊行した。インドでかなりの関心を呼んだがすぐに発禁処分とされた。次に自ら英訳して『Indian Home Rule』(インドの自治)として出版、1924年にはアメリカでも出版された。
ガンディーは生涯をインド独立運動にささげ、その指針として非暴力・不服従を掲げた。その理念はガンディー自身の言葉では“サティヤーグラハ”といわれるが、その意味をガンディー自身が自らの言葉で分かりやすく説明しているのが『ヒンドゥー=スワラージ』であた。
ガンディーは生涯をインド独立運動にささげ、その指針として非暴力・不服従を掲げた。その理念はガンディー自身の言葉では“サティヤーグラハ”といわれるが、その意味をガンディー自身が自らの言葉で分かりやすく説明しているのが『ヒンドゥー=スワラージ』であた。
『真の独立への道(ヒンド・スワラージ)』
本書は若い読者と編集者(ガンディー)の対話形式で書かれている。そこでのガンディーの立場は、国民会議派の穏健派に近く、急進的な即時独立を暴力をもってでも実現すべきであるという若い読者の意見に反対して、今イギリスを追い出しても、イギリス抜きのイギリス統治を実現するだけだと述べている。ガンディーの主張は、表面的なイギリス統治の批判ではなく、近代文明そのものへの批判に向かっており、インドにとって真の文明とは物質的な繁栄を求めるのではなく個人が自らの精神を統御することにある、という。そのよりどころはヒンドゥー教やイスラーム教、ゾロアスター教などの宗教の違いを超えた真理にある。それこそが「インドの自治」(スワラージは自治の意味)であると説く。そしてインド人が協力しているからイギリスの支配が成り立っているとも述べ、後の非協力運動につながる運動を提唱した。そして運動の鍵としてサティヤーグラハという言葉を示し、その意義を説いた。<ガンディー『真の独立への道(ヒンド・スワラージ)』田中敏雄訳 2001 岩波文庫>インド独立への道
ガンディーは第一次世界大戦後のインドで、国民会議派の一員として本格的にインド独立運動に関わるようになる。1919年~22年の第1次非暴力・不服従運動(ヒラーファト運動)はイギリスによる弾圧を受けて挫折し、1930年から34年に第2次非暴力・不服従運動(塩の行進など)を再開する。さらに第二次世界大戦の時期にはインドの独立を目指し、イギリスと対決し、ついに独立を実現させるが、その間のインド独立運動の指針とされたのがこの書物であった。