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日米通商航海条約の破棄

1939年7月、日本の中国侵出に反発したアメリカ側が日米通商航海条約の破棄を通告した。

 1931年の満州事変以来、日本の中国進出が進み、1937年に日中戦争がはじまるとさらに日本の支配圏は、満州のみならず中国本土に拡大された。日本は軍事的必要を理由に第三国の貿易・旅行の自由を制限し、華北・華中でも独占的な経済支配を行った。
 これに対してアメリカ合州国は、日本が中国におけるアメリカの通商権益を妨げているとして、1939年7月26日、日本に対して日米通商航海条約の破棄を通告した。同条約は規定により6ヶ月後の1940年1月26日に失効しし、日米間の貿易関係が途絶えた。

日本、南進論強まる。

 その結果、多くの戦略物資をアメリカに依存していた日本は、資源を東南アジアに求めるという南進論が強まり、おりからフランス・オランダがナチス=ドイツによって占領されたため、フランス領インドシナやオランダ領インドシナに進出して、石油資源その他を確保しようという路線を明確にし、1940年9月に北部仏印進駐を実行した。さらに硬化したアメリカとの間で日米交渉が行われたが、アメリカが鉄屑や石油の輸出の制限に踏み切ったため、日本政府はABCDライン包囲網の打破という世論を高めて、太平洋戦争へと突入することとなった。

日米通商航海条約

 1894年(明治27年)に日本政府とアメリカ合衆国の間で締結された通商に関する条約。江戸幕府が締結した、1858年7月の日米修好通商条約は領事裁判権と関税自主権の二点などで不平等なものであったため、明治政府は条約改正に努力し、ようやくこの日米通商航海条約で領事裁判権の撤廃に成功した(実施は99年)。なお、残る関税自主権の回復は、1911年の日米通商航海条約の改定によって達成された。上述のように、日中戦争後に日米間の対立が深刻となり、1939年7月、アメリカ合衆国がその廃棄を通告し、1940年に失効した。太平洋戦争で途絶えた日米関係は、1952年、対日平和条約発効に伴い、1953年4月に新条約が締結されて回復した。
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