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ドイツ軍のバルカン侵攻

第二次世界大戦において、ナチス=ドイツが1941年4月にバルカン半島地域に侵攻し、ユーゴスラヴィア、ギリシアを制圧した。そのためソ連との対立は決定的となった。

 第二次世界大戦が進行する中、ナチス=ドイツのヒトラーは、ルーマニアブルガリア日独伊三国同盟に加盟させて枢軸側に付かせることに成功した。さらにユーゴスラヴィア王国に対しても三国同盟への加入を強制すると、ユーゴスラヴィア王国の国王と親ドイツ派政権はそれに応じたが、反発した軍部などがクーデターをおこし、政権が倒された。
 それを見たヒトラーは、1941年4月、バルカン半島を南下してユーゴスラヴィアに侵攻し、ルーマニアやブルガリア軍も加わり、たちまち制圧した。さらに同月、イタリアの要請を受けてギリシアに侵攻し、ギリシア軍と5万のイギリスの援軍と衝突した。ドイツは空爆も含めて猛攻、ギリシア軍は降伏し、イギリス軍はクレタ島に撤退した。ドイツ軍はさらにクレタ島を空爆、イギリス軍はアレクサンドリアに引き揚げた。こうしてドイツはバルカン半島全域を支配下に収め、アドリア海、イオニア海を押さえて地中海に勢力を伸ばした。

ソ連のドイツに対する警戒

 ドイツのバルカン半島侵攻は、イタリアのアルバニア侵攻とともに、スラヴ系民族諸国に対する征服活動であったので、独ソ不可侵条約を締結していたソ連はドイツに反感を募らせる。そこでソ連は、同月、日ソ中立条約を締結し、東方での兵力を削減して西方に向ける備えをした。ついで、1941年6月のドイツの独ソ不可侵条約の破棄、独ソ戦の開始という、第二次世界大戦の第三期に突入していく。

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