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モスクワ宣言

1943年、アメリカ・イギリス・ソ連の三国外相会談で戦後の国際平和機構樹立に合意した。

 第二次世界大戦の末期、連合国の戦後処理構想の一環として、1943年10月19日から、モスクワで開催されたアメリカ、イギリス、ソ連の三国外相会談で合意された国際的平和機構樹立に関する合意に達した。それより前、アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルト大西洋憲章でチャーチルとの間で国際的な平和機構の樹立を構想し、合意に達していたが、かつてウィルソン大統領が議会の反対で国際連盟に加盟できなかったことを踏まえて、その具体化には慎重を期した。
 三国外相のモスクワ宣言で合意された国際的平和機構樹立構想は、同年11月のアメリカ・イギリス・ソ連の三首脳会談であるテヘラン会談で三首脳によって改めて確認された。

F=ローズヴェルトの積極的関与

 ローズヴェルトの指示でアメリカ国務省で原案を作成し、1943年9月に上院で国際平和組織への参加支持が可決されるのを待ち、世論の動向も見た上で、同年10月モスクワ外相会談に原案を提案した。ソ連は消極的、イギリスは「地域評議会」形式を主張したが、討議の結果、主権平等原則に基づいて国際的な平和機構を樹立することで初めて合意した。このモスクワ宣言は中国も合意し国際連合樹立への第二歩となった。<油井大二郎/古田元夫『第二次世界大戦から米ソ対立へ』世界の歴史28 中央公論社>
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