カイロ会談
第二次世界大戦中の1943年11月、アメリカ・イギリス・中国三国による戦後処理構想に関する首脳会議。アメリカ(フランクリン=ローズヴェルト)・イギリス(チャーチル)・中国(蔣介石)が対日戦争で協議し、カイロ宣言を発表した。
カイロ会談
カイロ会談は、同月初めに日本の東条英機内閣が、大東亜共栄圏に組み込んだアジア諸国の代表を東京に招集して大東亜会議を開催し、11月6日には「大東亜共同宣言」を発表して、戦争目的を「アジア解放」に置いたことに対抗する意図があった。
米英中の三国は、日本との戦争への対応について話し合い、チャーチルはインド・ビルマ方面の重視を主張したが、ローズヴェルトが蔣介石援助を優先することを譲らなかった。日本の無条件降伏後の扱いについては、中国大陸での領土の返還、朝鮮の独立などで合意に達し、12月1日、カイロ宣言として発表された。終了後直ちに場所をテヘランに移し、蔣介石は抜けてスターリンが加わり、主としてヨーロッパ戦線における第二戦線問題とポーランド問題を話し合うため、テヘラン会談を続けた。 → ヤルタ会談 ポツダム会談
カイロ宣言
1943年12月、米英中三国首脳のカイロ会談で合意した、日本との戦争の戦後処理に関する宣言。日本に満州、台湾などの中国への返還、朝鮮の独立を求めた。