カイロ会談
第二次世界大戦中の1943年11月、アメリカ・イギリス・中国三国による戦後処理構想に関する首脳会議。アメリカ(フランクリン=ローズヴェルト)・イギリス(チャーチル)・中国(蔣介石)が協議した。カイロ宣言は次のF=ローズヴェルト、チャーチルとソ連のスターリンによるテヘラン会談を終えた同年12月1日に発表された。
Source: Wikimedia Commons (Public Domain)
蒋介石、F=ローズヴェルト、チャーチル
カイロ会談は、同月初めに日本の東条英機内閣が、大東亜共栄圏に組み込んだアジア諸国の代表を東京に招集して大東亜会議を開催し、11月6日には「大東亜共同宣言」を発表して、戦争目的を「アジア解放」に置いたことに対抗する意図があった。
米英中の三国は、日本との戦争への対応について話し合い、チャーチルはインド・ビルマ方面の重視を主張したが、ローズヴェルトが蔣介石援助を優先することを譲らなかった。日本の無条件降伏後の扱いについては、中国大陸での領土の返還、朝鮮の独立などで合意に達し、12月1日、カイロ宣言として発表された。終了後直ちに場所をテヘランに移し、蔣介石は抜けてスターリンが加わり、主としてヨーロッパ戦線における第二戦線問題とポーランド問題を話し合うため、テヘラン会談を続けた。 → ヤルタ会談 ポツダム会談
カイロ宣言
1943年12月、米英中三国首脳のカイロ会談で合意した、日本との戦争の戦後処理に関する宣言。日本に満州、台湾などの中国への返還、朝鮮の独立を求めた。
テヘラン会談を終えた後、最終日の1943年12月1日、カイロ会談の合意事項として発表された、アメリカ大統領F=ローズヴェルト、イギリス首相チャーチル、中国主席蔣介石が署名したカイロ宣言が発表された。
無条件降伏後の日本に対する処理方針の基本原則について、次の内容を骨子としていた。
1)日本は満州、台湾、澎湖諸島を中国に返還すること。
2)日本は1914年以来(第一次世界大戦以降)獲得した全ての太平洋上の島嶼を手放すこと。
3)朝鮮は、適当な時期に独立すべきであること。
これらの条件を日本が無条件で受け入れるまで、三国は戦争を継続することも表明された。この条件は、後の1945年7月のポツダム宣言のもとになった。なお、太平洋戦争開戦前の1941年4月~11月の日米交渉ではふれられていなかった、日本の植民地朝鮮の独立が加えられていることに注意。
日本側は、同年12月9日、東条英機首相が「大東亜戦争」開戦2周年にあたる講演というかたちで、カイロ宣言を欧米諸国が勝手にアジアの秩序を覆そうとする高言に過ぎないとして批判し、拒絶した。太平洋戦争はさらに1年半、続くこととなった。カイロ宣言とポツダム宣言の間に1年以上の時間が経過していることも注意しよう。
無条件降伏後の日本に対する処理方針の基本原則について、次の内容を骨子としていた。
1)日本は満州、台湾、澎湖諸島を中国に返還すること。
2)日本は1914年以来(第一次世界大戦以降)獲得した全ての太平洋上の島嶼を手放すこと。
3)朝鮮は、適当な時期に独立すべきであること。
これらの条件を日本が無条件で受け入れるまで、三国は戦争を継続することも表明された。この条件は、後の1945年7月のポツダム宣言のもとになった。なお、太平洋戦争開戦前の1941年4月~11月の日米交渉ではふれられていなかった、日本の植民地朝鮮の独立が加えられていることに注意。
日本側は、同年12月9日、東条英機首相が「大東亜戦争」開戦2周年にあたる講演というかたちで、カイロ宣言を欧米諸国が勝手にアジアの秩序を覆そうとする高言に過ぎないとして批判し、拒絶した。太平洋戦争はさらに1年半、続くこととなった。カイロ宣言とポツダム宣言の間に1年以上の時間が経過していることも注意しよう。