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連合国の戦後処理構想

第二次世界大戦中に、アメリカ合衆国・イギリス・ソ連・中国の4ヵ国首脳(場合によっては2~3首脳)は、戦局に応じて直接会合を持ち、戦略の調整と、戦後構想について頻繁に協議した。その協議の中から、大戦後の敗戦国に対する処置と国際協調機関の創設が具体化した。

 第二次世界大戦中に形成された連合国の首脳は、大戦の指導と戦後処理について、数多くの話し合い(首脳または重要閣僚会談)を行っている。主な参加者はアメリカ合衆国のフランクリン=ローズヴェルト大統領(最後はトルーマンに交代)、イギリスのチャーチル首相(最後のアトリーに交代)、ソ連のスターリン第一書記、中国の蔣介石総統であった。およそその開催地を会談名としている。開戦(1939年9月)から日本の降伏(1945年8月)までの約6年間で次の16回を数える。開催順にあげると次のようになる(特に○印が重要な会議とされている)。
○1.
大西洋上会談 1941年8月9日 イギリス首相チャーチル・アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトが大西洋憲章を発表。→ このあと、12月に日本が真珠湾攻撃を行い太平洋戦争始まる。
 2.
アルカディア会談(ワシントン) 1941年12月 チャーチル・F=ローズヴェルト 太平洋戦争勃発への対応と対ドイツ作戦、合同参謀本部の設置、連合国共同宣言1942年1月1日)などで合意。
 3.
ロンドン会談 1942年7月 北アフリカ作戦
 4.
モスクワ会談 1942年8月 チャーチル・スターリン 第二戦線問題
 5.
カサブランカ会談 1943年1月14日 チャーチル・F=ローズヴェルト シチリア上陸作戦の検討、無条件降伏の原則の表明。
   
この間、2月に日本軍、ガダルカナル撤退。ドイツ軍、スターリングラードで敗北。戦局転換。
 6.
トライデント会談(ワシントン) 1943年5月 チャーチル・F=ローズヴェルト フランス上陸作戦の日程決定。 → この間、7月に連合国軍、シチリア島上陸。
 7.
ケベック会談 1943年8月 フランス上陸作戦の確認。この間、9月にイタリア降伏。
 8.
モスクワ会談 1943年10月19日 アメリカ、イギリス、ソ連三国の外相会談 国際連合設立のモスクワ宣言発表
○9.
カイロ会談 1943年11月23日~27日 F=ローズヴェルト・チャーチル・蔣介石 対日戦争の戦後処理方針決定。カイロ宣言
○10.
テヘラン会談 1943年11月28日~12月1日 F=ローズヴェルト・チャーチル・スターリン(最初の三首脳会談) 第二戦線問題とポーランド問題。ソ連日本参戦問題。
   
この間、1944年6月6日、ノルマンディー上陸
○11.
ブレトン=ウッズ会議 1944年7月1日 連合国の経済担当者 戦後の国際経済体制を協議
○12.
ダンバートン=オークス会議 1944年8月21日~10月 連合国の法律専門家 国際連合規約の草案を検討
 13.
モスクワ会談 1944年10月9日 チャーチル・スターリン 英ソによるバルカン・ギリシアの勢力分割(パーセンテージ協定)
○14.
ヤルタ会談 1945年2月4日 F=ローズヴェルト・チャーチル・スターリン 国際連合の設立、対独戦後処理、ポーランド問題。秘密協定としてソ連の日本参戦決定。ソ連の千島占領。
○15.
サンフランシスコ会議 1945年4月25日~6月 連合国50ヵ国 国際連合憲章の採択。 → この間5月7日にドイツの無条件降伏
○16.
ポツダム会談 1945年7月17日~8月2日 トルーマン・チャーチル(途中からアトリー)・スターリン 日本への無条件降服勧告であるポツダム宣言と、対ドイツ戦後処置に関するポツダム協定が成立。 → 日本、8月14日にポツダム宣言受諾決定。

重要会談のポイント

 連合国首脳による戦後処理のための会談は、実際には上記のようにたくさんあるが、重要なものは○印をつけたものであり、それらは出席した首脳、宣言・協定の内容をきちんと覚えておくこと。また、関連する外相会議や連合国全体会議も抑えておく必要がある。
 戦後処理のための首脳会談、国際会議の順番とどのタイミングで行われているかにも注意しよう。教科書では日本が降伏し世界大戦が終結した記述の後に説明される事項であるが、1.大西洋会談は太平洋戦争開戦前、12.ダンバートン=オークス会議、13.サンフランシスコ会議の国際連合設立についての国際会議は太平洋戦争での日本の敗戦の前に開催されている。教科書の説明の順に起こっているのではない。それでは重要会談の順番をしっかり頭に入れるためのおまじないを紹介しましょう。
 戦後処理のための会談 おぼえかたおまじない 
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