連合国
第二次世界大戦で枢軸国側と戦ったアメリカ・イギリス・中国・ソ連を中心とする諸国。1942年1月に成立し連合国共同宣言を発表、ドイツ・イタリア・日本のファシズム枢軸国との共同した戦いを表明し、後の国際連合のもととなった。
第二次世界大戦の時の「連合国」United Nations は、ドイツ・イタリア・日本などファシズム国家を枢軸国と言ったのに対して、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソ連・中華民国(中国)などの反ファシズムで連帯した諸国を言う。
大戦が始まる前には、ソ連はイギリス、フランスが1938年9月、ミュンヘン会談でドイツに対する宥和政策を取ったことに反発し、1939年8月に独ソ不可侵条約を締結していたので、イギリスとの関係は悪かった。また1939年に大戦が始まった時点ではアメリカは参戦しておらず、連合国として共同歩調はとられていなかった。
ソ連は1943年5月、それまでの各国の共産党に対する指導機関であったコミンテルンを解散させて、連合国の一員としての協力姿勢を明らかにした。連合国の中枢である四国は1943年11月、カイロ会談を開催し、戦後構想についての協議を開始する。
1945年2月のヤルタ会談でアメリカ・ソ連の二大国の合意が成立、ヤルタ体制と言われる戦後世界秩序が成立したことによって、1945年4月にサンフランシスコ会議で連合国に加わっていた50カ国が最終合意に達し、1945年6月26日に国際連合憲章が採択されて成立した。
大戦が始まる前には、ソ連はイギリス、フランスが1938年9月、ミュンヘン会談でドイツに対する宥和政策を取ったことに反発し、1939年8月に独ソ不可侵条約を締結していたので、イギリスとの関係は悪かった。また1939年に大戦が始まった時点ではアメリカは参戦しておらず、連合国として共同歩調はとられていなかった。
独ソ戦、太平洋戦争開始で転換
ところが1941年6月、独ソ戦が開始されたことで情勢は一変、それまで互いに不信を抱いていたソ連と米英が提携することとなった。同年7月には英ソ軍事同盟が成立し、8月にはF=ローズヴェルトとチャーチルが首脳会談を行って大西洋憲章を発表しファシズムとの戦争という戦争目的を明らかにすると、ソ連もそれに賛同し、提携が強まった。すでに1941年3月、アメリカは武器貸与法を制定して事実上、イギリスの軍事支援を開始していたが、独ソ戦開始に伴い、ソ連に対しても支援を行った。同年12月の日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発すると、アメリカに参戦の口実を与えることとなり、ここにアメリカ・イギリス・中国・ソ連という連合国の中軸が形成されることになった。国際連合の結成へ
連合国は1942年1月1日、ワシントンにおいて、アメリカ合衆国・イギリス・ソ連・中国の4ヵ国を発議国とし、世界26ヵ国が集まって戦争目的をファシズム枢軸国の打倒とすることで一致し、連合国共同宣言を発表した。ついで、米英ソ4国外相は1943年10月に国際連合設立で合意し、モスクワ宣言を発表した。ソ連は1943年5月、それまでの各国の共産党に対する指導機関であったコミンテルンを解散させて、連合国の一員としての協力姿勢を明らかにした。連合国の中枢である四国は1943年11月、カイロ会談を開催し、戦後構想についての協議を開始する。
国際連合の発足
カイロ会談に続けて開催されたテヘラン会談では、新組織設立のための国際会議を開催することが決まり、1944年8月~10月には連合国の実務者によるダンバートン=オークス会議によって国際連合憲章草案が作成された。1945年2月のヤルタ会談でアメリカ・ソ連の二大国の合意が成立、ヤルタ体制と言われる戦後世界秩序が成立したことによって、1945年4月にサンフランシスコ会議で連合国に加わっていた50カ国が最終合意に達し、1945年6月26日に国際連合憲章が採択されて成立した。
51カ国で国際連合発足
サンフランシスコ会議開催時には、統一政府が成立していなかったポーランドが6月に統一政府が成立したことによって国際連合憲章に署名し、「国際連合」は51カ国で発足した。この The United Nations はその名の通り「連合国」そのものの意味であり、敵対していた枢軸国を含まない組織であった。また発足時点で連合国と交戦中であった日本は他の敵国とされた諸国とともに憲章の中の「敵国条項」によって除外されていた。日本の無条件降伏によって第二次世界大戦が終結するのは、国際連合発足の後の八月であった。 → 第一次世界大戦の「連合国」