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国家安全保障法

1947年、トルーマン大統領の下で成立した、アメリカの軍事体制を再編した法律 あらたに国家安全保障会議(NSC)が設置され、陸・海・空を統合する国防総省と統合讒謗本部が設立された。このとき中央情報局(CIA)も新設された。

 第二次世界大戦の終結後、トルーマン大統領は明確な東西冷戦に直面することとなった。1947年3月に発表したトルーマン=ドクトリンは、ソ連主導の東側勢力に対する、いわゆる封じ込め政策をかかげたものだった。
 トルーマンはそれに対応してアメリカ合衆国の軍事機構を、従来の陸・海軍に分かれた指揮系統ではなく、一省に統合することを中心としたものに再編することを1946年6月に議会に提唱した。並行して国連原子力委員会においては原子力の国際管理を提唱しているが、一方で7月にはビキニ環礁で戦後初のアメリカの原爆実験を行っている。 トルーマンの提案を受けてアメリカ議会は検討を重ねた結果、1947年7月に国家安全保障法が成立した。これが現在まで続くアメリカの安全保障体制の根幹となっている。

国家安全保障法の内容

 国家安全保障法の内容は多岐にわたるが、次のような要点にまとめることができる。<以下、紀平英作『歴史としての核時代』世界史リブレット 1998 山川出版社 p.78-82 などによって構成>
  • 国家安全保守会議(NSC)の設置。大統領の直属機関として、国務長官、国防長官その他の重要閣僚などによって構成し、対外政策・軍事政策および安全保障の観点から国内政策について大統領に勧告する権限を持つ。統合参謀本部議長、中央情報局長、原理力委員会委員長は大統領の要請で会議に加わることができる。
  • 国防総省・統合参謀本部の設置。統合する国防総省を設置し、第二次世界大戦中に設置された統合参謀本部を制度化、軍需局、軍事技術の研究開発局、原子力委員会軍事連絡委員会の4組織をその下に置いた。また、陸軍省・海軍省、および回軍から独立した空軍省は軍評議会を通じて、国防総省(国防長官)に属した。
  • 中央情報局/CIAの設置。外国情報を収集、必要な外交工作を秘密裏に実行する機関。

国家安全保障法の重要ポイント

 この国家安全保障法で新たに設置された軍事機構の中で、もっとも肝腎だったのは軍組織の総覧者としての国防長官と、独立した組織として自らのスタッフをもつ事が認められた統合参謀本部機構の拡大であった。ただし、今ひとつ重要であったのが、同法によって核兵器の存在が明確な地位を与えられた点でもあった。46年8月の原子力管理法の下で核兵器開発への軍の権益として認められた「原子力委員会軍事連絡委員会」が、国防長官直属の組織として、統合参謀本部とも同列に置かれたのである。これによってアメリカが所有する核兵器を軍が戦略目的で活用する組織体制が整えられたことが重要な意味をもっていた。
 国家安全保障会議が、核戦略構想を作成し、原子力委員会が原爆増産に応えていくということが可能となり、事実、45年12月の段階では核爆発物質は2で、48年前半まではせいぜい7発程度だったものが、49年6月には50発、51年1月1日にはおそらく400発程度に増加している。<紀平英作『同上書』p.81>
 → 核兵器開発競争