トルーマン=ドクトリン
1947年、アメリカのトルーマン大統領が共産圏に対する「封じ込め政策」を表明した指針。共産主義封じ込めのためギリシア・トルコへの支援を表明し、東西冷戦体制を固定化させた。
1947年3月、アメリカ大統領トルーマンが議会に向けて出した宣言。第二次世界大戦後、ソ連の影響によって東欧諸国が共産化し、その脅威がギリシア・トルコに及んだことに脅威を感じたアメリカが、ソ連邦を中心とした共産圏を明確に敵視し、その封じ込めをはかる世界政策(封じ込め政策)をとることを宣言したもの。具体的には、ギリシアに対する軍事支援をイギリスが断念したことを受けて、その肩代わりとして4億ドルの援助を提案した。
「世界の幾多の国民が最近自らの意志に反して全体主義的体制を強制されました。合衆国政府は、ポーランド、ルーマニア、ブルガリアにおいて、ヤルタ協定に違反しておこなわれている強制と脅迫に対して、しばしば抗議をおこないました。私はまた多数の他の国家においても同様の情勢があることを述べなければなりません。」
また、アメリカが支援しなければならないのは、「多数者の意志に基礎をおき、自由な諸制度、代議政府、自由な選挙、個人の自由の保障、言論と信教の自由、そして政治的圧政からの自由によって特徴付けられる」自由主義陣営であり、それに対してソ連は「多数者を力によって抑圧する少数者の意志に基礎をおいている。それは恐怖と圧政、統制された出版と放送、仕組まれた選挙、そして個人の自由の圧迫の上に成り立っている」社会であると違いを鮮明にし、「武装した少数派や外部の圧力による征服の意図に抵抗している自由な諸国民を援助することこそが、合衆国の政策でなければならないと信じる」とした。<この部分、西崎文子『アメリカ外交とは何か -歴史のなかの自画像』2004 岩波新書 p.129 による>
この宣言は、いわばソ連に対する「冷たい戦争」開始を告げる宣戦布告となったもので、以後半世紀にわたる冷戦時代の幕開けをつげるものとなった。その具体化が、同1947年6月に発表されたマーシャル=プランであり、ヨーロッパにその態勢を作り上げたのが1949年4月の北大西洋条約機構(NATO)の創設であった。
トルーマンの共産主義脅威論
トルーマン大統領は共産主義に脅威について、次のように述べている。「世界の幾多の国民が最近自らの意志に反して全体主義的体制を強制されました。合衆国政府は、ポーランド、ルーマニア、ブルガリアにおいて、ヤルタ協定に違反しておこなわれている強制と脅迫に対して、しばしば抗議をおこないました。私はまた多数の他の国家においても同様の情勢があることを述べなければなりません。」
また、アメリカが支援しなければならないのは、「多数者の意志に基礎をおき、自由な諸制度、代議政府、自由な選挙、個人の自由の保障、言論と信教の自由、そして政治的圧政からの自由によって特徴付けられる」自由主義陣営であり、それに対してソ連は「多数者を力によって抑圧する少数者の意志に基礎をおいている。それは恐怖と圧政、統制された出版と放送、仕組まれた選挙、そして個人の自由の圧迫の上に成り立っている」社会であると違いを鮮明にし、「武装した少数派や外部の圧力による征服の意図に抵抗している自由な諸国民を援助することこそが、合衆国の政策でなければならないと信じる」とした。<この部分、西崎文子『アメリカ外交とは何か -歴史のなかの自画像』2004 岩波新書 p.129 による>
この宣言は、いわばソ連に対する「冷たい戦争」開始を告げる宣戦布告となったもので、以後半世紀にわたる冷戦時代の幕開けをつげるものとなった。その具体化が、同1947年6月に発表されたマーシャル=プランであり、ヨーロッパにその態勢を作り上げたのが1949年4月の北大西洋条約機構(NATO)の創設であった。
トルーマン=ドクトリンの意義
(引用)この演説に示された世界認識は、モンロー大統領に遡るアメリカ外交伝統の思考様式を、冷戦の文脈の中で捉え直したものといえよう。かつて、モンロー大統領が世界を絶対王政のヨーロッパと共和制のアメリカとに二分したように、トルーマンは20世紀の世界を圧政と自由とに二分していたからである。・・・同時に、トルーマン=ドクトリンは、「二つの世界」という現実を見据えた上で」、民主主義のもとに「一つの世界」を作りだそうとしたウィルソンの理念を焼き直したものでもあった。アメリカはドイツ国民を含む世界の抑圧された人々の解放のために戦うのだと宣言したウィルソンと同様に、トルーマンは、圧政に抗う自由な諸国民を援助することこそがアメリカの政策であると訴えた。・・・ウィルソンの外交理念は、トルーマンによって共産主義に対する宣戦布告へと転化されたのであった。・・・・トルーマン=ドクトリンに見られる世界認識は、以後半世紀にわたってアメリカ外交を支配し続けることになった。・・・このような分かりやすい、しかし図式的な世界観は、アメリカ外交を著しく硬直化させる結果を招いた。<西崎文子『アメリカ外交とは何か -歴史のなかの自画像』2004 岩波新書 p.127-131>→ アメリカの外交政策