インドシナ戦争
1946~54年までのベトナムのフランスからの独立をめざす戦い。
日本の敗北後、支配を復活させようとしたフランス(第四共和政)とベトナム独立同盟(ベトミン)が戦った戦争。1946年12月19日にハノイでフランス・ベトナム両軍の衝突から本格的な戦闘を開始、ベトナム全土、さらにカンボジア、ラオスのインドシナ三国に拡大した。フランス領インドシナ全域に独立戦争が拡がり長期化し、フランスが1954年5月7日のディエンビエンフーの戦いでベトナム独立同盟(ベトミン)に敗れたことからようやく和平交渉に応じ、1954年7月21日のジュネーヴ協定での和平成立まで続いた。
なおこの間の戦争(1945~54年)を「第1次インドシナ戦争」といい、アメリカが起こしたベトナム戦争がカンボジアに拡大した1970~75年を「第2次インドシナ戦争」、さらに1978~79年のベトナムのカンボジア侵攻と中国との戦争を「第3次インドシナ戦争」という場合もある。
なおこの間の戦争(1945~54年)を「第1次インドシナ戦争」といい、アメリカが起こしたベトナム戦争がカンボジアに拡大した1970~75年を「第2次インドシナ戦争」、さらに1978~79年のベトナムのカンボジア侵攻と中国との戦争を「第3次インドシナ戦争」という場合もある。
戦争の国際問題化
当初フランスはベトナムの首都ハノイを押さえ優位であったが、ベトミン軍のゲリラ攻撃に悩まされ農村部を支配できず、戦闘の長期化に国内にも厭戦気運がたかまってきた。1949年にフランスはバオ=ダイ帝を擁立してベトナム国を樹立した。アメリカ(トルーマン政権)は当初、フランスの植民地主義を批判し、援助に積極的でなかったが、1949年10月、中華人民共和国が成立するとアジアの共産主義化を恐れ(ドミノ理論)、ベトナムのフランス軍を全面支援することとなり、インドシナ戦争は一挙に国際的な問題と化した。和平交渉
ようやく1954年、停戦交渉がジュネーヴ会議として始まり、その最中の1954年5月7日にフランス軍がディエンビエンフーの戦いで大敗北を喫し、1954年7月21日にジュネーヴ休戦協定が成立して和平が実現した。アメリカの介入
これによってフランスはインドシナから完全に撤退することとなったが、替わってアメリカがその空白を埋めるべく、進出してきた。アメリカは和平に反対してジュネーヴ休戦協定に参加せず、むしろ1955年には南ベトナムに傀儡政権ベトナム共和国(南ベトナム)を樹立して介入し、ホー=チ=ミンのベトナム民主共和国(北ベトナム)と敵対させ、和平協定で約束された統一選挙の実施を拒んだ。第2次インドシナ戦争
このアメリカの介入は、1965年2月7日のアメリカ軍による北ベトナム空爆から本格的なベトナム戦争へとエスカレートしていく。そしてその戦火は70年代にカンボジアやラオスに拡大していったので、ベトナム戦争を第2次インドシナ戦争と言う場合もある。