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ベトナム共和国

1955年、アメリカが南ベトナムに造った傀儡国家、いわゆる南ベトナム。北の共産勢力の南下を警戒して、1964年から直接介入、ベトナム戦争となる。南ベトナム解放戦線(ベトコン)が北の支援を受けて戦い、1973年にアメリカ軍は撤退、解放勢力は75年にサイゴンを制圧し、ベトナム共和国は崩壊、ベトナムは統一された。

 ベトナムでのインドシナ戦争ジュネーヴ休戦協定が成立して、フランスが撤退した後、アメリカはその休戦協定を承認せず、新たに南ベトナムを支配して、北の共産主義勢力の南への進出を阻止しようとした。1955年10月、アメリカはフランスの傀儡国家であったベトナム国バオ=ダイを追放し、親米派のゴ=ディン=ジェムを大統領としてベトナム共和国を成立させた。これはあらたなアメリカの傀儡政権であった。

ゴ=ディン=ジェム政権

 この後、北のホー=チ=ミンの指導するベトナム民主共和国に対抗して南ベトナムを統治したが、ゴ=ディン=ジェムは親米反共政策を進めるものの、一族支配などで非民主的な運営のもとで腐敗した。1960年12月には、南ベトナムを北と統合させることをめざして南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成され、南ベトナム軍に対するゲリラ戦を開始した。それをうけてアメリカ合衆国のケネディ大統領は積極的な軍事支援に乗り出した。アメリカ軍の直接介入が始まる中、1963年11月にはアメリカの黙認の下で、政府軍による軍事クーデタが発生、ゴ=ディン=ジェム大統領は殺害された。アメリカがゴ=ディン=ジェムに統治能力が無いとして見限ったのだった。

ベトナム戦争に突入

 ゴ=ディン=ジェム政権が倒されたクーデタから3週間後にケネディ大統領が暗殺され、代わったジョンソン大統領は直接北ベトナムを叩くことに踏み切り、1964年8月2日トンキン湾事件を口実に北ベトナムを爆撃し、さらに1965年2月7日から「北爆」を恒常化させ20万の地上軍も投入
ベトナム戦争が本格化した。
 ベトナム共和国では、1965年からはグエン=バン=チューが大統領となったが政権は安定せず、めまぐるしくクーデタがくり返されてますます弱体化していった。その間、ベトコンのゲリラ戦術は北ベトナムの支援を受けてアメリカ軍と南ベトナム軍を悩まし、ベトナム戦争は泥沼化していった。1968年5月からはパリ和平会談がはじまったが、和平の進展は遅く、70年代にはラオスやカンボジアに戦渦が拡がった。
 ようやく1973年1月27日ベトナム和平協定が成立して、3月にアメリカ軍のべトナム撤退が開始、南ベトナム軍は単独で北ベトナム及びベトコンとの戦いを余儀なくされ、ついに1975年4月30日サイゴンが陥落し、ベトナム共和国は崩壊した。最後の大統領はズオン=ヴァン=ミンだった。

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