ベトナム民主共和国
1945年9月にホー=チ=ミンの指導で独立宣言。その後もフランスと戦い、54年にディエンビエンフーの戦いで勝利した。アメリカの介入で南ベトナムにベトナム共和国が作られ、南北分断となる。1965年からアメリカとのベトナム戦争となり、激しいアメリカ軍の北爆を受けながら、南ベトナム解放戦線を支援して戦う。1973年、アメリカ軍を撤退させ、75年にサイゴンが解放戦線側に制圧され、南北統一を実現。その年に国号をベトナム社会主義共和国に改称した。
独立宣言
ベトナムでは日本軍の敗北が明確となるなか、1945年8月14日、ベトナム独立同盟(ベトミン)が一斉武装蜂起し、8月28日にハノイに臨時革命政府を樹立し、主席にホー=チ=ミンが就任した。それに伴って阮朝の最後の皇帝バオ=ダイ帝が退位し(八月革命という)、1945年9月2日にベトナム民主共和国の独立宣言を行い、改めて大統領にホー=チ=ミンが就任、首都はハノイとされた。これによってフランス領インドシナ連邦のもとで形式的に存続していた阮朝は完全に消滅した。インドシナ戦争
こうしてベトナムは独立を達成したが、フランスはインドシナに復帰して植民地支配を再現しようとしたので直ちに1946年12月から対フランス戦争であるインドシナ戦争が始まった。戦闘は長期化したが、1954年5月7日のディエンビエンフーの戦いでベトナム独立同盟(ベトミン)がフランス軍を破るという大きな転換点を迎えた。1954年7月21日に成立したジュネーヴ休戦協定では、南北ベトナムでの統一選挙が約束されたが、アメリカは協定を無視して北緯17度線の南にベトナム共和国を樹立、ベトナムは南北分断国家とされた。
ベトナム戦争
南ベトナムに対する軍事支援を強めるアメリカとは次第に対立が深刻となり、1960年に南べトナム解放民族戦線が結成されるとそれを強く支援した。アメリカは1965年2月7日からベトナム民主共和国(北ベトナム)に対する空爆(北爆)を開始、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)に突入した。 こうしてベトナム民主共和国は第1次と第2次をあわせて「30年戦争」を経験することとなった。激しい空爆に耐え、南ベトナムの解放を支援し、ついに1973年3月29日にアメリカ軍を撤退させ、さらに1975年4月30日にサイゴン陥落によってベトナム戦争を終結させて南北ベトナムの統一を達成し、翌1976年6月24日、国号を現在のベトナム社会主義共和国に改称した。