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スエズ運河国有化

1956年、エジプトのナセル大統領がアスワン=ハイダム建設費の財源とするためスエズ運河の国有化を発表。反発したイギリスがフランス・イスラエルと共にエジプトを攻撃し、第2次中東戦争(スエズ戦争)が起きる。

 スエズ運河は1869年に営業を開始、1875年にイギリスが買収して以来、スエズ運河会社がその利益をイギリスやフランスの株主に分配し、エジプトにはごくわずかな利益しかもたらさなかった。
 エジプト革命を成功させたナセルは、農業近代化用の電力供給を得るためナイル川上流にアスワン=ハイダムを建設することを計画した。当初、その費用をアメリカの援助に求めたが、アメリカがナセルのソ連寄りの姿勢を嫌って援助を断ってきたので、スエズ運河を国有化し、その利益をダム建設に向けることを考えた。

第2次中東戦争(スエズ戦争)起きる

 1956年7月26日に発表されたスエズ運河国有化の声明は世界を驚かせ、とくにスエズ運河と関係が深いイギリスとフランスは運河会社の経営権をなくすことになるので衝撃を受けた。英仏は逆提案という形で運河の国際管理案を持ち出して時間を稼ぎ、その間軍備を整え、10月末にイスラエルをエジプトに侵攻させ、さらに両軍がスエズ地区に出兵して第2次中東戦争(スエズ戦争)が勃発した。
 イギリスはすでに1954年にナセルとの交渉でエジプトから軍隊を撤退させていたのでスエズ運河を守るためにはそれなりの口実が必要となる。まずイスラエル軍をスエズ地帯に進撃させ、それを守るエジプト軍との両軍に対して、運河を戦火から守ることを口実に撤退を勧告した。実際にはイスラエル軍が運河地帯に到達する前に韓国がなされ、当然エジプト軍は撤退を拒否すると、それを口実にイギリスはエジプト空軍基地を空爆、続いてフランス軍とともに上陸した。
 フランスはスエズ運河の防衛にあたる義務はなかったが、当時植民地アルジェリアでの戦争に苦しんでおり、アラブ民族主義勢力が勢い付くことを恐れ、参戦した。
 イスラエルのベングリオン首相はパレスチナ戦争(第1次中東戦争)で戦闘で勝利しながら領土拡張がなかったことから、軍事力充実に努めており、領土拡張の好機と捉え、イギリスの要請に同調した。

ナセル、戦いに敗れても実を取る

 戦争はイスラエル軍が奇襲によってシナイ半島を占領、エジプトは後退し、英仏・イスラエル三国が優位に進んだが、国際世論はアメリカのアイゼンハウアー大統領をふくめて英仏・イスラエルを非難する声が強く、結局撤退を良くなくされ、英仏もスエズ運河の管理をエジプトに委ねることに合意した。
 エジプトのナセルは戦闘では敗れたものの、国際世論を背景にイギリス・フランス軍を撤退させ、スエズ運河国有化に成功したたナセルはエジプトのみならず、アラブ世界の英雄として高い人気を得ることとなった。
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