ガーナ共和国
1957年、イギリス領ゴールドコーストがエンクルマの指導で独立を達成し、ガーナ共和国となった。1966年、エンクルマが追放され政情不安が続いた。
ガーナ共和国 GoogleMap
ギニア湾に面し、金やダイヤモンドなどの地下資源、カカオ豆(チョコレートの原料)などが主な産業。国土は約23万平方m、人口2400万、首都はアクラ。かつて野口英世が黄熱病の研究で滞在し、感染して1928年に死去したことで知られる。
イギリス領ゴールドコースト
現在のガーナのあるアフリカ西岸のギニア地方にあり、かつてはアシャンティ王国という黒人国家が栄えていた。15世紀からポルトガルのアフリカ植民地支配がはじまり、盛んに黒人奴隷が行われた。ポルトガルによるアフリカ黒人奴隷貿易の記憶を忘れないための世界遺産「エルミナ要塞」は現在のガーナにある。19世紀の帝国主義時代のアフリカ分割が進行する中、アフリカ縦断政策をとるイギリスが進出し、1874年に植民地化した。植民地時代はゴールドコースト(黄金海岸)と言われていた。ガーナ共和国の独立
ガーナ共和国国旗
注意 古代ガーナ王国とは位置が異なる なお、古代のガーナ王国は、現在のガーナとは関係が無く、位置もニジェール川の上流域(現在のマリとモーリタニアの国境地帯)にあった。エンクルマが独立を達成したとき、古代ガーナ王国の繁栄にあやかり、新国家にガーナという名を付けたもの。
独立後のガーナ
ガーナは独立を達成したが、植民地時代からのカカオのみに依存するモノカルチャー経済が続いたため、次第に経済が悪化し、マイナス成長が続いた。そのため政情も不安定で、1966年には軍事クーデターが発生して建国の功労者エンクルマが追われ、その後もEpisode ガーナに渡った日章旗と銃剣
2010年7月、ガーナを訪れた作家の清野栄一さんは、博物館に日本軍の日章旗と銃剣などが保管されているのを目撃した。内陸の商業都市クマシにある旧アシャンティ王国時代の砦を軍事博物館にしており、そこに「第五四師団」のものとされる迫撃砲や機関銃、軍刀、拳銃などとともに寄せ書きのある2枚の日章旗も展示されていたのだ。なぜ遠いアフリカの地に旧日本軍の遺品があるのだろうか。当時「イギリス領ゴールドコースト」だったこの地から約2000人が徴兵され、アクラで「英領西アフリカ軍」として編成されてビルマにおくられた兵士が持ち帰ったものだった。つまり、日本軍のインパール作戦に従軍した兵士の遺品だった。日章旗には女性を含む日本人の寄せ書きをはっきりと読み取ることができた。また錆び付いた日本刀には和泉守藤原国貞の銘が読み取れた。そして、部屋に飾られた当時の写真には、イギリス人将校を先頭にして頭上に大きな荷物を載せてジャングルを歩く西アフリカ兵の姿もあったが、彼らは皆、裸足だった。このアフリカの地に日本軍の遺品があるという違和感は、にわかにぬぐえないが、まぎれもない現実は、60年以上もの間、静かに横たわっていたのだ。<朝日新聞 2010年9月10日記事>