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ロン=ノル/ロン=ノル政権

1970年、クーデターによってカンボジアに親米右派政権を樹立したが、内戦は収束せず75年にポル=ポト派らによって倒された。

 ロン=ノル Lon Nol はカンボジアの軍人で、親米派であった。アメリカのニクソン政権は、ベトナム戦争の局面を打開するため、カンボジアを経由してもたらされる南べトナム解放民族戦線に対する物資支援を遮断する必要に迫られていた。そこで、1970年3月、アメリカはカンボジアで反米姿勢を強めていたシハヌーク政権を倒すためロン=ノルにクーデターをおこさせ、同年4月にカンボジアに侵攻した。
 ロン=ノルはカンボジアの王政を否定して自ら大統領に就任し、アメリカに依存する親米右派政権を樹立したが、シハヌークは北京にあって国内のシハヌーク支持派と赤色クメールを提携させ、カンプチア民族統一戦線を組織、反米・反ロン=ノルの戦いを開始、カンボジア内戦が始まった。
 ロン=ロル政権は民衆の支持を失い、内部対立もあって次第に劣勢となり、1975年4月、首都プノンペンは赤色クメール(実態はポル=ポト政権)を主力とする民族統一戦線によって完全に包囲されてしまった。ロン=ノル大統領はプノンペンから脱出してインドネシアに亡命、政権は崩壊した。翌76年に民主カンプチアが成立した。

ロン=ノル政権の実態

(引用)ロン・ノル政権は、最初からよれよれだった。七〇年一〇月に共和国を宣言し、ロン・ノルは大統領になったが、独断専行はひどくなる一方だった。ナショナリズムとベトナム人への憎悪は強烈で、ベトナム系住民を強制収容所に入れたりした。その延長で、四月に政府軍によるベトナム系住民集団虐殺事件も発生した。また彼は星占いを信じ、軍事作戦計画も占い師の予言に左右された。七一年二月には脳卒中で倒れてハワイの米軍病院に運ばれたが、右下半身が不自由になった。政権内の腐敗もシハヌーク政権下よりさらに悪化した。山田寛『ポル・ポト<革命>史』2004 講談社選書メチエ p.39
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