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全欧安全保障協力会議/CSCE

1975年、ヘルシンキで開催された全ヨーロッパ諸国とアメリカなどの会議。ヘルシンキ宣言を採択して冷戦終結に大きな役割を果たした。1994年に全欧安全保障協力機構(OSCE)に改称された。

 1970年代に西ドイツ首相ブラント東方外交などによって緊張緩和(デタント)が進捗する中、1972年12月東西ドイツ基本条約で東西ドイツが相互に承認しあったことによって、ヨーロッパで敵対する関係は存在しないことになった。それによってロシア・東欧諸国も含め、全欧州の諸国が参加して全体の安全保障についての話し合いが可能になった。それをうけて東西ヨーロッパ諸国にアメリカとカナダを加えた35ヵ国で2年半にわたった交渉が行われた。ようやく1975年4月にはベトナム戦争も終結し、東西冷戦の変質が大きく進んだ。
 1975年7月~8月、アメリカ大統領フォードが呼びかける形をとって、全ヨーロッパ諸国(アルバニアを除く)とアメリカ・カナダの35ヵ国の首脳会議がヘルシンキで開催された。

ヘルシンキ宣言と東欧自由化

 この会議はヨーロッパ全域の安全保障についての協力を図る会議として位置づけられ、全欧安全保障協力会議 Conference on Security and Cooperation in Europe 略称CSCE とされることになった。1975年8月1日に最終文書としてヘルシンキ宣言が調印された。
 ヘルシンキ宣言では全ヨーロッパの戦争の危機を避けるための信頼醸成のプロセス(大筋)を取り決めたが、その第3項に各国での人権の回復が謳われていた。それはソ連社会主義圏の東欧諸国で政治的な自由など基本的人権が抑圧されていると考えていた反体制勢力に、強く鼓舞することとなり、自由化運動が興ってくるきっかけとなった。

OSCEに改称 Conference から Organization へ

 第2回は、東西ドイツ統一東欧革命という一連の大変動を受けて、1990年にパリで開催され、ヨーロッパの分断対立の時代の終焉を宣言するパリ憲章を採択した。
 全欧安全保障協力会議(CSCE)は1994年12月にブダペストで首脳会議を開催、会議を全欧安全保障協力機構(Organization for Security and Co-operation in Europe OSCE)と改称し、常設機関化して機能を強化させることなどのブダペスト宣言をとりまとめた。新たな機構は翌1995年に業務を開始した。
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