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全欧安全保障協力機構/OSCE

全欧安全保障協力会議が1994年にブダペスト宣言により常設機関となって改称し、翌年発足した。ソ連解体後のヨーロッパの集団安全保障で重要な役割を担っている。

会議から機構へ 1975年7月に始まった全欧安全保障協力会議(CSCE)は、1994年12月、ハンガリーのブダペストで首脳会議を開催、会議を常設機関化して機能を強化するとともに全欧州安全保障協力機構(OSCE)と改称し、1995年に業務を開始した。OSCEは、Organization for Security and Co-operation in Europe の略。欧州安全保障協力機構ともいう。
 1975年のヘルシンキ宣言は、第一バスケットで、信頼醸成・安全保障・軍縮で合意した。信頼醸成措置とは、国家間での相互不信を軽減させ、紛争防止に役立てる措置として「軍隊にかんする情報、防衛政策などを公開・透明にすること」であり、ブダペスト会議で、常設の機構であるOSCEに改組・改称したのはその延長線上にあった。<前田哲男編『現代の戦争』2002 岩波書店 p.327>

ブダペスト覚書

 このとき、OSCEへの改称と共に、ソ連解体後のヨーロッパの安全保障で重大な懸念とされた旧ソ連邦構成国ののウクライナベラルーシカザフスタンに残された核兵器の取り扱いについても合意に達した。それはでアメリカ・イギリス・ロシア三国間で合意に達してブダペスト覚書を作成した。覚書に盛り込まれたのは、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの旧ソ連構成国は、核兵器所有をロシアに移管することに同意し、核拡散防止条約(NPT)に加わることであった。その見返りとして核兵器所有国(アメリカ・イギリス・ロシアに加え後にフランス・中国も個別に協定を結んだ)はウクライナ・ベラルーシ・カザフスタン三国の安全保障を確約し、核攻撃などを行わないことを約束した。

第二の国連

 冷戦の終結後のソ連の解体ユーゴスラヴィアの解体を受けて、ヨーロッパ全体を包含する安全保障の枠組みとして、現在重要性を増し得ている。2004年現在で55ヵ国が参加している。そのなかにはアゼルバイジャンウズベキスタンなど、旧ソ連の中央アジアの諸国も含まれている。また、EUや、軍事機構としてのNATO加盟国(つまりアメリカも)もすべてOSCEに含まれている。そのことから、OSCEは「第二の国連」と言われることもある。
 2014年に表面化したウクライナの東部でのロシアへの併合を掲げたロシア系住民の分離運動から起こった「ウクライナ東部紛争」でもOSCEは停戦監視団を派遣しており、その役割が期待された。しかし、停戦を実現することには失敗し、その成果を上げることは出来なかった。NATOとロシアの対立などの中でヨーロッパ地域の集団安全保障をどのように実現するか、OSCEは困難な課題に直面していると云える。

OSCEと日本

 現在、日本はOSCEの協力国となっている。しかし、国内ではOSCEについてほとんど知られていない。世界史用語集でも独立した項目になっておらず、高校生もほとんど学ぶ機会がないのではないだろうか。
 ソ連崩壊、東欧社会主義圏の解体という激動の中で、ヨーロッパ諸国が、集団的自衛権ではなく、集団安全保障を掲げ、OSCEを作ったことは、東アジアの一員である日本もわれわれも学ばなければならない。中国の一方的な軍備増強を脅威に感じ、尖閣や竹島を守るために、アメリカとの集団安全保障に依存しようという昨今の日本の姿勢は、遺憾ながら“遅れている”―しかも19世紀のビスマルク体制時代まで―としか見えない。“信頼醸成措置”の方策を立てなければならないのに、いまだに植民地支配を正当化し、南京虐殺、従軍慰安婦を否定するという“歴史認識問題”にこだわり、中国・韓国を刺激している。歴史認識、領土問題の交渉にも「信頼醸成措置」がはからなければ解決は難しいであろう。
 現在、OSCEはヨーロッパの集団安全保障に関して実績を上げることが出来ず、その役割にも疑問の声もあるが、その取り組みが続いているのも事実であり、国際政治の安定に役割を果たす可能性もあると思われる。その存在を知り、活動に注目しよう。
 → OSCEホームページ

ロシアのウクライナ侵攻

 2014年、ウクライナで親ロ派政権に代わって登場した親西欧派政権がNATO加盟への動きを見せると、強く反発したロシアのプーチン政権は、クリミア地方の住民がロシア帰属を希望していることを理由に突如侵攻し、併合してしまうという
クリミア危機が起こった。さらにウクライナ東部のルガンスク州、ドネツク州でもロシア系住民が分離独立を宣言、ロシアがそれを支援するというウクライナ東部紛争が勃発した。ウクライナはこれらはロシアによるウクライナへの武力攻撃であり、ブダペスト覚書違反であると国際世論に訴えた。この衝突は、翌15年2月、OSCEが仲介してベラルーシのミンスクでロシア、ウクライナ、フランス、ドイツの四国で合意(ミンスク合意)が成立、戦闘行為を止め、ウクライナはロシア系住民地位の「特別な地位」を与えることで停戦を実現した。しかし、このミンスク合意で停戦にはなったものの、両国の双方の理解に隔たりがあり、将来への禍根が残ることとなった。
2022ウクライナ戦争  2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻を実行、危機は再び表面化した。OSECの地域集団安全保障が機能したかったことへの疑問の声も上がっているが、ほとんど期待する声も聞こえないのが現状と言える。
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前田哲男編
『現代の戦争』
2002 岩波小辞典