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反体制知識人

冷戦下のソ連の社会主義下での共産党一党支配や人権抑圧を批判し、抵抗した知識人たち。

 フルシチョフによるスターリン批判が始まり、「雪どけ」といわれる一定の言論の自由も認められる中で、知識人の政治的な発言も見られるようになったが、1964年にフルシチョフが失脚しブレジネフ政権になると再び政府を批判したり、社会主義の現実を問題視する言論は厳しく取り締まられることとなった。 → ソ連社会の停滞
 そのような言論の封殺に抵抗して、なお反体制知識人(異論派ともいう)は危険を冒して発言したり、地下出版(サミズダートという)で政府と体制に対する批判をつづけた。その代表的な人物に、原子物理学者のサハロフ博士、作家のソルジェニーツィンらがいる。
 70年代のデタント時代には西側の文化も一部解禁されたため、人権問題や環境問題、国際平和に関する発言が出始めたが、80年代前半はソ連のブレジネフ政権とアメリカにレーガン政権の対決色が強まり、再び冷戦の緊張が戻って新冷戦といわれるようになると、体制批判は厳しく取り締まられて国内監禁や国外追放などの弾圧が行われるようになった。そのため、反体制知識人の中には国外に亡命する人々も多くなった。
 ようやく、1980年代後半のゴルバチョフ政権のもとでグラスノスチ、ペレストロイカが始まったことで自由な反体制発言が可能となり、多くの知識人が名誉を回復した。
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