新冷戦
1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻を機にアメリカのレーガン政権がソ連敵視政策を強め、両国の関係が緊張緩和から再び緊張状態に戻った。1985年のソ連のゴルバチョフ登場まで続く。
第二次世界大戦後の世界情勢を規定する東西冷戦は、1970年代に入って緊張緩和(デタント)が進み、75年のヘルシンキ宣言を最も大きな成果として生み出し、その様相を大きく変化させていたが、70年代の終わりに米ソ両国の間の緊張関係にもどってしまった。それを「新冷戦」というが、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻に始まり、同年、アメリカ議会が戦略兵器制限交渉(第2次)/SALT・Ⅱの批准を否決したことにも現れている。 → 冷戦(6)
レーガンの登場
1980年にはアメリカにタカ派(対ソ強硬派)の共和党レーガン政権が登場したことも両国の関係を悪化させた。レーガンはソ連を「悪の帝国」と非難し1983年には戦略防衛構想(SDI)を提示し、軍拡の姿勢を示した。ソ連はヨーロッパにSS20ミサイルを配備し、アメリカは対抗してパーシングⅡミサイルを配備、ヨーロッパの核戦争の脅威が高まった。82年から始まった戦略兵器削減交渉(第1次)(START・Ⅰ)も進捗が見られなかった。ゴルバチョフの登場
ソ連は82年にブレジネフ体制が終わりを告げ、替わったアンドロポフ、チェルネンコが相次いで死ぬという危機が続き、世界は再び核戦争の危機を迎えた。この新冷戦を終わらせ、冷戦そのものに終止符を打つことになったのが、ソ連に登場したゴルバチョフ政権であった。ゴルバチョフは新思考外交を掲げてアメリカとの大胆な軍縮交渉を提唱し、1987年にレーガンとの間での中距離核戦力(INF)全廃条約として結実し、SS20やパーシングⅡは廃絶されることとなった。冷戦の終結
1989年、東欧革命が急速に進展してベルリンの壁が撤去されたことによって、ゴルバチョフとブッシュ(父)大統領がマルタで会談、冷戦の終結を宣言した。1991年には戦略兵器削減交渉(第1次)(START・Ⅰ)も合意に達した。 → アメリカの外交政策