多国籍軍
1991年の湾岸戦争に際し、アメリカ軍を中心に28カ国で編成された。
1991年の湾岸戦争において、アメリカ軍を中心とした28カ国の68万(うちアメリカ兵は54万)で編成され(開戦時)、クウェートに侵攻したイラク軍と戦った軍隊。国際連合の安全保障理事会の決議によって、イラクの行為を平和を破壊する侵略行動であると認定し、イラク軍のクウェートから排除するための出動であった。朝鮮戦争の時の「国連軍」も多国籍軍であったが、一般にこの名称が用いられた最初はこの湾岸戦争の時である。国連の決議に基づいた「軍事的制裁」活動であるが、国連憲章第7条の手続きを経た「国連軍」ではない。また、イラクという共通の敵に対する軍事的行動なので、中立的な活動である平和維持活動(PKO)でもない。このようなアメリカ主体の多国籍軍が可能であったのは、冷戦が終結し、ソ連(この年12月に消滅する)が参加はしなかったが反対もしなかったためである。<岩波小辞典『現代の戦争』p.271 などによる>
多国籍軍の実態
湾岸戦争で動員された多国籍軍は、開戦時に(最大で)85万人、2900機の戦闘機であった。地上戦が始まるまでの空軍の出動回数は6万5千回であった。戦闘そのものは2月28日に終了、史上最短の「100時間戦争」であったが、空爆の開始から1ヶ月半弱の間に多国籍軍の死傷者は500人、イラク軍は2万5000人から10万人という。<酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書 2002 p.114,120>