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アインシュタイン

相対性理論を創始した理論物理学者。第一次世界大戦末期、アメリカで原爆の開発を提唱。戦後は核廃絶運動を積極的に行い、その死の直後の1955年7月に核兵器廃絶を訴える「ラッセル=アインシュタイン宣言」が発表された。

アインシュタイン
Albert Einstein 1879-1955

Source: Wikimedia Commons (Public Domain)

1951年3月14日の72歳の誕生日パーティーの後、写真家アーサー・サッセに舌を出している。

20世紀前半に活躍したドイツ生まれの理論物理学者。1905年特殊相対性理論を提唱したことでよく知られているが、他にも量子力学、統計力学などでもすぐれた業績を残し、1921年のノーベル物理学賞を受賞、20世紀の最大の科学者の一人とされている。ユダヤ系であったため1933年にドイツにナチス政権が成立するとアメリカに亡命、その後アメリカに帰化した。

原爆開発への関わり

 1939年、ドイツの原子爆弾開発が先行することを危惧し、アメリカ合衆国のF=ローズヴェルト大統領に原子爆弾開発を開始するよう進言し、その結果、マンハッタン計画と言われるアメリカの原爆開発計画が始まった。アメリカの原子爆弾開発をナチスとの対抗、推進する立場となったが、その脅威を最もよく知るアインシュタインは、トルーマン大統領にその使用を見合わせるように警告したことが知られている。しかし、広島・長崎での原爆使用を止めることは出来なかった。
 広島・長崎の惨状が広く世界に知られるようになった1945年8月以降、アメリカにおいても核兵器・原子力の開発と管理をどうすべきか、という議論が持ち上がり、国内では原爆の政府・文民統制、原子力の平和利用、国際管理が必要であるという主張と、軍の中枢にある軍人や政治家の中のソ連脅威論を理由とした原爆独占体制、軍により管理、平和利用より軍事利用優先が必要であるとの主張が対立するようになった。

世界政府の提言

 そのなかで、1945年秋、アインシュタインはニュージャージー州プリンストンで雑誌『アトランティック・マンスリー』11月号に論文を掲載、そこで次の様に提唱した。
(引用)そこでアインシュタインは、合衆国が「世界政府」world government 」の手に、所有する原爆と製造技術のすべてを委ねるべきであると強調した。彼の議論には一つの要点があった。核時代になった今日、世界は国家主権を従来のごとく絶対的なものと主張することは許されないであろう。国家主権の一部を制限し、軍事にかんする権限を世界政府が引き受けることが緊急に必要であり、それによって米ソ間の核兵器競争を阻止しなければならない、と。<紀平英作『歴史としての核時代』世界史リブレット 1998 山川出版社 p.36>
 世界連邦の設立という発言は一つのアイデアの提示にとどまったが、アメリカ政府の国務省内での原子力開発の国際管理構想に強い影響を与えた。また1946年1月に発足した国際連合でアメリカは原理力開発の国際管理のために原子力委員会を設置することを提唱し、国際連合第1回総会第1号決議でその設置が決議された。
 主権国家がそれぞれに軍備を有するという現状のもとで、アインシュタインの提起した議論は深まらず、また実質的にアメリカが世界政府として振る舞い原爆を独占している現状を容認することになる、という批判もあった。しかし、アインシュタインは、主権国家の連合体に過ぎない国際連合にたいしても批判的であった。彼は、世界政府は各国家の枠をこえて直接市民に働きかける主体的な存在でなければならないと考え、世界議会では国家の大小を問わず一国一票という原理ではなく、人口さらには工業化の程度などを考慮した、より合理的な基準で選出すべきであると論じた。アインシュタインは、「世界政府」を主張することで近代国家が支柱とした国家主権という絶対概念からの脱却をこの時点で明確に求めていた。彼は各国家が軍備の強化を競いあう現状をするどく否定し、次のように述べている。
(引用)「今日なんの罪もない物理学者にたいしてさえ、国家防衛を説くファナティックな国防主義者の攻撃が加えられはじめてている。旧態依然たる国防主義の動きは、いずれわれわれの日常生活を、内から掘りくずしていきかねない動きを示していることを、私は強く懸念している」と。<紀平英作『同上書』 p.39-40>
 アインシュタインの提唱の影響もあって、国際世論に動かされたアメリカは国際連合第1回総会で原子力の国際管理のために国連に原子力委員会を置くことを提案、実現させた。

戦後の核実験開始

 しかし、戦後の東西冷戦の深刻化は、米ソの核開発を促し、原子力委員会も米ソ間の意見の隔たりが大きく活動を停滞し、早くもアメリカは1946年7月25日、太平洋上のビキニ環礁で戦後最初の原爆実験を行い、アメリカの核実験・核開発が急速に進んだ。対抗するように秘密裏にソ連の核実験の準備が進められ1949年8月29日にセミパラチンスクで成功させた。こうして世界は「核の時代」の核兵器開発競争へと突入し、科学者の中にもふたたび核兵器が使用されるのではないか、という危惧が強まっていった。

ラッセル=アインシュタイン宣言

 1955年には哲学者のバートランド=ラッセルとともに核戦争廃絶の訴えを呼びかけ、1955年7月9日ラッセル=アインシュタイン宣言ちすて発表された。しかし、アインシュタイン自身は発表前の4月18日に死去していた。
 この提言がもととなって1957年には世界の科学者がパグウォッシュ会議を開催し、世界的な核兵器廃絶運動が盛り上がることとなった。

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