印刷 | 通常画面に戻る |

ホモ=エレクトゥス/原人

左がトゥルカナ=ボーイ、右がルーシーの骨格模型(東京国立科学博物館展示)。
左がトゥルカナ=ボーイ、
右がルーシーの骨格模型
(東京国立科学博物館展示)。

ホモ=エレクトゥスはホモ=ハビリスに次ぐホモ属として、190万年前にアフリカに出現し、脳容積の増大、火の使用などの特徴が見られる。彼らはアフリカからユーラシア大陸各地に移住し、ジャワ原人、北京原人などになった。

 約190万年前(出現の時期については240万年前説もある)にアフリカで出現した化石人類で、学名のホモ=エレクトゥスは直立した人、の意味である。直立二足歩行する人類はすでに約700万年前に出現していたが、ホモ=エレクトゥスはホモ=ハビリスの系統のホモ属に属し、アウストラロピテクス猿人ともいう)に比較して脳容積を増大(約900cc)させており、自由に直立二足歩行し、走る能力も身につけて狩猟技術を向上させ、より高度な打製石器、火の使用などを開始していた。

ホモ=エレクトゥスの広がり

 彼らの化石は、アウストラロピテクスがアフリカだけに限定されるのと異なり、世界各地で見つかっている。それは彼らが、アフリカから出てヨーロッパからアジアまでの旧大陸にに広く移住したことを意味している。アフリカに現れたホモ=エレクトゥスは大きな脳容積を維持するため肉が必要であったため、脚が長いという身体的能力を生かして行動範囲を広げ、その一部がアフリカを出てユーラシアに進出した。約700万年前にアフリカで直立歩行を始めた人類は、その後もアフリカを出ることがなかった。ようやく約190万年前頃アフリカに現れたホモ=エレクトゥスであったが、彼らはいつしかユーラシア大陸に移住し、約160万年前頃、ジャワ原人や北京原人という地域集団として姿を現した、と考えられる。
※最近、アフリカ以外に人類が住んでいた最古の遺跡としてジョージア(グルジア)のドマニシ遺跡がある。177万年前の人骨と、180万年前の石器が見つかっている。このドマニシ人はホモ=エレクトゥスと同種とする見解と、より脳容積が小さいので別種とする説がある。将来的にはアフリカ以外での化石人骨の発見もあり得るので、確定的なことは言えないようだ。<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.141145>
ホモ=エレクトゥスの地域集団 ジャワ島で見つかったジャワ原人や、周口店で発掘された北京原人などは、ホモ=エレクトゥスの地域集団である。かつてはジャワ原人をピテカントロプス=エレクトゥス、北京原人をシナントロープス=ペキネンシスといって別な種に分類していたが、現在はこれらの名は死語になっている。ジャワ原人も北京原人も同じホモ=エレクトゥスという「種」に属している。そしていずれも化石人骨としては残ったが、人種としては絶滅しており、現在のジャワ人や中国人の祖先となったのではないので注意しよう。
その他のホモ属 同じホモ属に属する化石人類としては、より古いホモ=ハビリスの他に、60万年前頃にアフリカに現れヨーロッパに広がったホモ=ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)がいる。彼らは、15万年前にホモ=ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)に進化していったと考えられる。

山川詳説世界史の記述変更

 2013年度から使用される最新版世界史教科書には、原人の出現時期に関する記述に大きな違いが見られる。最も普及率が高い山川出版社の『詳説世界史B』では、「やがて約240万年前、アフリカに原人が登場した。ホモ=ハビリスやホモ=エレクトゥス(ジャワ原人・北京原人など)がそれに属し、なかでもホモ=エレクトゥスは、ハンドアックスなどの改良された打製石器と火を使用して狩猟・採集生活を営んだ。」と書いている。山川の詳説世界史の昨年までの記述は、「やがて約180万年前に原人が登場した」であった。この変化は、ホモ=ハビリスを猿人とするか、原人とするかの違いから起こった。旧版ではホモ=ハビリスは「猿人」とされていたのだ。ホモ=ハビリスには前から原人説があったのだが、今年版から原人と断定したため、原人の出現年代を一挙に繰り上げることになったのだ。  しかし、他の教科書、たとえば実教出版の『世界史B』では、2013年版でも「およそ180万前になると、原人(ホモ=エレクトゥス)があらわれた。」とされており、判断はむずかしいが、山川教科書の方が、新たな学会状況を取り入れれているようだ。
 猿人の出現時期もどんどんさかのぼっているが、原人も同様で、約100万年前から30万年前までを活動時期とする説もある。数年前までは原人の出現は50万年前とされていた。

ホモ=エレクトゥス(原人)の文化

 原人段階の人類は、脳容積が増大し、火の使用言語の獲得・石器製造技術の発達(ハンドアックスの出現など)など、飛躍的な「文化」を形成している。しかし、この原人と現代の人類(新人)の関係については、絶滅して現在につながっていないという説と、現在のアフリカ・ヨーロッパ・アフリカの各民族の祖先となったという説があるが、現在は前者が有力である。また、言語の使用に関しては、最近では疑問が提出されている。

Episode アフリカのトゥルカナ=ボーイ

 1984年、ケニアのトゥルカナ湖畔でリーキー一家によってほぼ完全な原人化石が発掘された。約160万年前から蘇ったのは少年だったので、トゥルカナ=ボーイと名づけられた。身長はすでに160cm、大人になれば180cmに達したのではないかと言われている。脳は880cc、大人になれば900ccだろう。左の写真でも判るように現代人と代わらないスラリとした体型をしている。この大きな歩幅はハイエナと草原で競争しても負けなかっただろうし、彼らがアフリカ大陸から出て世界中に広がる原動力になったと考えられる。彼は猿人のルーシーと並んで化石人類のスターとなった。現在、上野の国立科学博物館にその骨格模型を見ることが出来る。<『人類進化の700万年』三井誠 講談社現代新書 2005 p.81 などによる>

脳容積の増大の理由

 約190万年前、アフリカに現れたホモ=エレクトゥスは、初期のホモ属より顎や臼歯が小さくなり、脳容積は約850ccで明らかに大きくなった。約180万年前になるとその一部はアフリカからユーラシアへと進出、約10万年前まで生きていた。かつては直立歩行するようになって手が自由になり、道具を作るようになって脳容積も増大した、と説明されたが、約700万年前に直立歩行してから、脳容積はほとんど増えていなかったのだからこの説明は正しくない。大きなエネルギーを消費する脳を維持するには肉食が必要であり、石器を作って人類が動物の肉を食べられるようになったから、脳の容積が増えたのだ。ライオンは人間より肉を大量に食べるが、そのためには脳容積を増やさず、牙を大きくしただけだった。<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.124,128>

人類、走り始める

 人間の二足歩行は、動物の四足歩行に較べれば、スピードは遅い。初期の化石人類は草原で肉食獣に食べられることが多かっただろう。ところが石器を使用するようになってその立場は逆転した。二足歩行は四足歩行の4分の1しかエネルギーを使わない。つまり、スピードでは負けるが、長く歩くには二足の方が適している。人類は石器を持って獲物をどこまでも追いかけるようになった。こうしてホモ=エレクトゥスでは直立二足歩行から受ける恩恵はずっとおおきくなった。おそらくホモ=エレクトゥスが、初めて走った人類だからだ。<更科功『同上書』 p.130-132>

Episode 人類から体毛がなくなった理由

(引用)ホモ・エレクトゥスが走ったとすれば、私たちの体に毛がほとんど生えていないことも説明できるかもしれない。暑い日中にアフリカの草原を走ると体温が上がる。上がった体温を下げるために汗をかいて、その汗を蒸発させることによって体温を下げる。しかし体毛があると、その下に汗を出しても蒸発しないので、体温を下げられない。そのため、人類の体からは、毛がなくなった可能性があるのだ。それが正しければ、人類はホモ・エレクトゥスが現れた約190万年前頃に、体毛を失ったことになる。ちなみに、ヒトとチンパンジーの毛の本数はあまり変わらない。ヒトの体毛がほとんどないように見えるのは、毛の一本一本が細くて短いからだ。<更科功『同上書』 p.135-136>
 体毛がなくなった時期は、約120万年前という説もある。遺伝的研究から肌の色が黒くなったのがそのころだと推定されるからだ。肌が黒くなったのと体毛がなくなった時期は一致するかもしれない。これは推定にすぎないが、体毛がなくなったがホモ=エレクトゥスの時代であったことはいえる。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
序章1節 ア.人類の進化
書籍案内

三井誠
『人類進化の700万年』
講談社現代新書 2005

更科功
『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』
2018 NHK出版新書