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グルジア/ジョージア

カフカス地方のあってソ連邦の一国を構成していたが、1991年に独立。現在はロシア系住民の分離運動があり不安定である。

 カフカス地方(コーカサス山脈の南麓)にあり、西を黒海に面している。首都はトビリシ。北はヨーロッパ最高峰5642mのエルブルス山をふくむコーカサス山脈を境にロシア連邦と接し、東はアゼルバイジャン、南にアルメニア、トルコ共和国と接している。この地はペルシア帝国やローマ、ビザンツ帝国の支配を受けたが、11世紀頃には一時グルジア王国として栄えた。その後ふたたびビザンツ領となり、オスマン帝国さらにイランのサファヴィー朝、ついで1795年にはカージャール朝の侵攻を受け、その支配を受けることとなった。
 ロシア帝国が南下政策を強めると、その勢力は黒海からカフカス地方に及んできた。1804年の第1次イラン=ロシア戦争では、グルジアとアゼルバイジャンはカージャール朝からロシア帝国に割譲された。
ソ連邦の一員へ  ロシア革命(第2次)が起こると、独立の機会ととらえたグルジアでは、1918年に独立を宣言したが、赤軍が侵攻して首都トビリシを制圧、ザカフカース=ソヴィエト社会主義共和国の一部とされた。1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦の成立に際してはザカフカース連邦の一つとして加盟した。1936年にはスターリン憲法の制定により、ザカフカース連邦は廃止され、三共和国は分離し、グルジア共和国として直接にソ連邦を構成することとなった。グルジアはスターリンの出身地であった。

独立後のグルジア

 1991年8月、ソ連で保守派クーデターが失敗、ゴルバチョフがソ連共産党の解党を宣言したことで、グルジアも他のソ連構成国と同じく独立を宣言した。1993年には独立国家共同体に加盟し、シュワルナゼ(ゴルバチョフ政権でソ連の外務大臣として活躍していた)が大統領(1992~2003)となった。
アブハジア紛争 しかし黒海に面したアブハジアではグルジア人以外のロシア人などの福崎な民族構成があり、親ロシアの傾向が強く、グルジアからの分離独立を主張してアブハジア紛争(~1994年)が起こった。アブハジアの一部は今もグルジアの実効支配が及んでいないが、国際社会ではまだ認められていない。 → カフカス地方の紛争
バラ革命 グルジアでは独立後、経済の悪化が進み、2003年には野党の指導によるデモ隊が議会を占拠し、大統領は辞任、総選挙が行われて国民連合の指導者で親欧米派のサアカシュヴィリが当選するという、「民主化」が行われた。このことを「バラ革命」とも言っている。

グルジア紛争

 旧ソ連邦から分離独立したグルジア共和国では、2003年に「バラ革命」とも言われる民主化が行われたが、国内には深刻な民族問題を抱えていた。特に西部のアブハジアとコーカサス山脈山中の南オセチアは非グルジア系住民が多く、彼らはグルジアのロシア離れに批判的であるため、グルジアからの分離運動が盛んであった。
南オセチア紛争 コーカサス山中には、ロシア領の北オセチアとグルジア領の南オセチアにまたがってオセット人が居住している。オセット人はイラン系と言われ、山岳地帯で遊牧生活を送っていたが、1991年にその居住区は北をロシア、南をグルジアに分断されることとなった。南オセチアにはグルジア帰属に反対する人が多く、ロシアの支援を受けて分離独立の動きを強め、2008年8月に独立を宣言した。それを認めないグルジア軍が侵攻、それに対してロシア連邦のメドヴェージェフ大統領とプーチン首相(二頭体制であるが主導権はプーチンにある)はロシア軍をグルジアに侵攻させ、南オセチアを支援、グルジア軍は敗れて撤退した。戦闘は同時に黒海海岸のアブハジアでも展開され、グルジア=ロシア間の戦争状態となった。戦闘は8月中にEUの朝廷で講和したが、南オセチアとアブハジアは事実上の独立状態となっいる。ロシアは両国を独立国として承認しているが国際的にはまだ認知されていない。 → カフカス地方の紛争

グルジアをジョージアへ

 2014年10月25日の朝日新聞の伝えるところによると、安倍首相はグルジアのマルグベラシビリ大統領と会談し、グルジアの国名表記を同国の要請に応じて英語表記に基づいた「ジョージア」に変える方針を示し、今年度中に関係法案の改正を目指すという。
(引用)日本外務省などによると、旧ソ連の同国では2008年のグルジア紛争以降、反ロシア感情が高まった。ロシア語の「グルージヤ」に近い国名表記でなく、「ジョージア」とするように各国に要望していた。09年に来日した同国外相は、当時も変更を要請。日本政府は米国のジョージア州との混同の可能性もあり、変更には慎重だった。だが国連加盟国のうち約120ヵ国が「ジョージア」を使用するようになり、「グルジア」を使うのは日本のほか、旧ソ連と東欧など少数派となっていた。<朝日新聞 2014年10月25日朝刊>

Episode ジョージア出身力士の活躍

 2004年1月場所で新入幕をはたし、大相撲初のヨーロッパ出身関取となった黒海は、最高位小結まで進んで2012年に引退した。本名がレヴァン・ツァグリアといい本国ではアマチュアレスリングの選手として活躍していた。大相撲の呼び出しでは「グルジア共和国トビリシ出身」と紹介されていたが、生まれたのは1981年、まだソ連時代のアブハジア自治共和国フスミだった。1991年にソ連邦が解体、グルジア(当時)共和国が独立するとアブハジアはその一部となった。しかし、アブハジアはグルジアからの分離独立を主張して、1992年にアブハジア紛争が始まった。黒海の家もこの時破壊され、アブハジア人ではなかった一家はグルジアの首都トビリシに避難したのだった。94年に停戦が成立したが、アブハジアは事実上ブルジアから分離し、共和国が実効支配している。黒海に続いてグルジアからの大相撲入門が続き、幕内力士も臥牙丸、栃ノ心と続いた。栃ノ心は2018年1月場所で優勝、7月場所でついに大関に昇進した。こうして黒海以来、ジョージア出身力士の活躍が目立つが、その祖国は2008年、ロシアとの間での緊張感が高まり、南オセチア紛争が起こっている。このときは黒海、栃ノ心はロシア大使館への抗議デモに参加している。また翌年5月末には黒海、臥牙丸、栃ノ心の三人は徴兵検査を受けるためジョージアに帰国、さらに軍事訓練を受けている。
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