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グルジア/ジョージア

カフカス地方のあってソ連邦の一国を構成していたが、1991年に独立。現在はロシア系住民の分離運動があり不安定である。

 カフカス地方(コーカサス山脈の南麓)にあり、西を黒海に面している。首都はトビリシ。北はコーカサス山脈を境にロシア連邦、東はアゼルバイジャン、南にアルメニアと接している。この地はペルシア帝国やローマ、ビザンツ帝国の支配を受けたが、11世紀頃には一時グルジア王国として栄えた。その後ふたたびビザンツ領となり、オスマン帝国さらにサファヴィー朝の支配を受ける。
 ロシア帝国が南下するとその領土となった。ロシア革命が起こり、1918年に独立を宣言したが、赤軍が侵攻して首都トビリシを制圧、ザカフカース=ソヴィエト社会主義共和国の一部とされた。1936年にザカフカースが三共和国に分離され、グルジア共和国としてソヴィエト社会主義共和国連邦を構成することとなった。グルジアはスターリンの出身地であった。

独立後のグルジア

 1991年8月、ソ連で保守派クーデターが失敗、ゴルバチョフがソ連共産党の解党を宣言したことで、グルジアも他のソ連構成国と同じく独立を宣言した。1993年には独立国家共同体に加盟し、シュワルナゼ(ゴルバチョフ政権でソ連の外務大臣として活躍していた)が大統領(1992~2003)となった。
 しかし、経済の悪化が進み、2003年には野党の指導によるデモ隊が議会を占拠し、大統領は辞任、総選挙が行われて国民連合の指導者で親欧米派のサアカシュヴィリが当選するという、「民主化」が行われた。このことを「バラ革命」とも言っている。

グルジア紛争

 旧ソ連邦から分離独立したグルジア共和国では、2003年に「バラ革命」とも言われる民主化が行われたが、国内には深刻な民族問題を抱えていた。特に西部のアブハジアとコーカサス山脈山中の南オセチアはロシア系住民が多く、彼らはグルジアのロシア離れに批判的であるため、グルジアからの分離運動が盛んであった。その分離運動はその後も続き、2008年8月には南オセチアが自治を宣言するとそれを認めないグルジア軍が侵攻、それに対してロシア連邦プーチン政権はロシア軍をグルジアに侵攻させ、南オセチアを支援、グルジア軍は敗れて撤退した。こうして、南オセチアとアブハジアは事実上の独立状態となっており、ロシアは承認しているが国際的にはまだ認知されていない。

グルジアをジョージアへ

 2014年10月25日の朝日新聞の伝えるところによると、安倍首相はグルジアのマルグベラシビリ大統領と会談し、グルジアの国名表記を同国の要請に応じて英語表記に基づいた「ジョージア」に変える方針を示し、今年度中に関係法案の改正を目指すという。
(引用)日本外務省などによると、旧ソ連の同国では2008年のグルジア紛争以降、反ロシア感情が高まった。ロシア語の「グルージヤ」に近い国名表記でなく、「ジョージア」とするように各国に要望していた。09年に来日した同国外相は、当時も変更を要請。日本政府は米国のジョージア州との混同の可能性もあり、変更には慎重だった。だが国連加盟国のうち約120ヵ国が「ジョージア」を使用するようになり、「グルジア」を使うのは日本のほか、旧ソ連と東欧など少数派となっていた。<朝日新聞 2014年10月25日朝刊>
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