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ペテロ

イエスの十二使徒のひとり。小アジア、ローマに布教し殉教した。その墓所がサン=ピエトロ教会であり、後に初代ローマ教皇とされた。

 ガリラヤ湖畔の漁師だったがイエスの最初の信者(使徒)の一人となり、十二使徒の代表格。しかし、イエス逮捕の時はその場から逃げ、信者であることを否認した。そのことに悩んでいる時、イエスが復活したのを目の当たりにして、イエスは自分を赦してくれたと信じる。またそのとき、イエスから「私の羊を飼いなさい」と言われ、イェルサレムの教団建設の先頭に立つ。さらに小アジアのユダヤ人に教えを広め、ローマにおもむき、ネロ帝の迫害に遭遇し、逆さ十字架にかけられて殉教した。なお、ペテロは英語読みではピーター Peter。ピエトロ、ペテル、ピョートル、皆同じ。

サン=ピエトロ教会

 聖人とされて「聖ペテロ」と言われるようになった彼の遺骸の埋められたところに後にコンスタンティヌス帝が建てた教会がサン=ピエトロ教会であり、それを含む一角がキリスト教(ローマ=カトリック教会)の中心であるとされるようになる。その後、ペテロが初代ローマ教皇に擬せられサン=ピエトロ教会を中心とした一角はローマ教皇庁が置かれ、現在、ヴァチカン市国となっている。

Episode クォ・ヴァディス

 ペテロはローマで迫害にあったとき、一旦はローマから逃れようとした。その途中、キリストと出会い、「主よ、いずこへ行き給う」(クォ・ヴァディス)と尋ねたところ、キリストは「十字架にかかるためにローマに行く」と答えたので、ペテロはおのれを恥じ、意を決してローマに戻り、殉教したという。この話をもとに、ポーランドの作家シェンキェヴィチが書いた有名な歴史小説が、『クォ・ヴァディス』(1896)である。この作品でシェンキェヴィチは、当時ロシアに支配されていた祖国ポーランドの自由と独立への希望を、キリスト教徒の迫害に耐え抜く姿に託して描いたのだった。

Episode ペテロの遺骨

 2013年11月、ローマ教皇庁は、ヴァチカンのサンピエトロ広場で24日にくミサの際に、聖ペテロのものとされる遺骨を納めたひつぎを初めて一般公開すると発表した。ひつぎは普段はサン=ピエトロ大聖堂の地下墓地に安置され、許可がなければ見学できない。1939年からはじまった発掘調査で、聖ペテロの墓とみられる場所が見つかり、1950年に近くから金を織り込んだ赤紫の布に包まれた男性の骨が発見され、付近の壁にギリシャ語で「ペテロがこの中に」と書かれていたという。<秋田魁新聞 さきがけ on the WEB 2013.11.19>
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ノートの参照
第1章3節 キ.キリスト教の成立
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シェンキェーヴィチ
/木村彰一訳
『クオ・ワディス』
上 岩波文庫