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プラノ=カルピニ

13世紀、ローマ教皇によってモンゴル帝国に派遣された修道士。

 イタリア人のフランチェスコ会修道士で、プラノ=カルピニのジョバンニという。バトゥの率いるモンゴル軍の侵入によって起こった1241年のワールシュタットの戦いでヨーロッパのキリスト教世界は大きな恐怖に陥った。モンゴル軍が東方に去った1年後の1243年、ローマ教皇に選出されたインノケンティウス4世は、モンゴル帝国についての情報を得るため、使節を派遣することを決定し、プラノ=カルピニを派遣した。プラノ=カルピニは1246年にカラコルムにたどり着き、おりから挙行された第3代ハンのグユク=ハンの即位式に列席し、グユク=ハンの教皇への返書をたずさえて帰国した。
 それには「おおいなる教皇たる汝、もし汝が汝の言葉を守るならば、すべての諸王とともに汝みずから来たりて朕に臣従を誓うべし・・・・神の力によりて、日の昇るところより、日の没するところまで、すべての土地を神は朕に授けられたり」というものであった。彼の残した報告書は、貴重な報告書としてヨーロッパの人々に広く知られた。<D.モーガン『モンゴル帝国の歴史』1986 角川選書 p.199 及び同氏『大モンゴル2』「ヨーロッパに対するモンゴルの衝撃」 NHK 角川書店>