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ジズヤ/人頭税

イスラーム世界に於ける税の一つで、非イスラーム教徒の成年男性に課せられる税のこと。インドのムガル帝国にも継承されたが、アクバル帝の時に廃止され、アウラングゼーブ帝の時に復活された。

 イスラーム法で定められた人頭税で、原則は金納で国庫に納められた。イスラーム帝国に征服された地域の非アラブ人(厳密にはその中の「啓典の民」)は、イスラーム教に改宗することを強制されず、信仰と生命・財産を保護された。そのような改宗しない非アラブ人、ジンミー(ズィンミー)は、そのかわりジズヤという人頭税(婦人、子供、老人などをのぞいた人間に課せられる)を納めるなければならなかった。また土地所有者は地租(ハラージュ)を納めなければならなかった。

ウマイヤ朝からアッバース朝への変化

 イスラームに改宗すれば人頭税は課せられないことになっていたが、ウマイヤ朝では非アラブ人でイスラーム教に改宗した人々(新改宗者、マワーリー)にも、ジズヤが課せられることになった。そのためアラブ人と非アラブ人の差別に対して不満が強くなり、その終わり頃にはマワーリーのジズヤは免除されることとなった。アッバース朝でもズインミーにはジスヤとハラージュが課せられ、マワーリーはジズヤは免除されハラージュのみが課せられることとなり、イスラーム教徒のアラブ人と非アラブ人の平等化が図られた。

ムガル帝国におけるジズヤの変遷

 インドのイスラーム国家であるムガル帝国では、征服者であるイスラーム教徒は少数であったのに対して、被征服民の多数はヒンドゥー教徒であったので、その融和が課題となった。インドの統一的支配を目指したアクバルは1564年にヒンドゥー教徒に対する人頭税(ジズヤ)を廃止し、融和をはかった。しかし17世紀後半のアウラングゼーブ帝は篤いスンナ派への信仰から、1679年にジズヤを復活させた。そのため、このころからムガル帝国に抵抗するヒンドゥー教やシク教の地方政権が現れ、ムガル帝国の衰退がはじまった。
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