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イスラーム法/シャリーア

イスラーム世界でのコーランなどに示された法体系。シャリーアという。

 イスラームの法は、コーランに書かれていることを基本として、学者たちが作り上げていったもので、信仰や儀礼のあり方から、家族や取引の決まりなどの日常生活にかかわる規範となっている。イスラーム世界ではコーランとムハンマドの言行録であるハディースとあわせた規範がイスラーム法として、「シャリーア」と言われている。現在のイスラーム諸国では、近代的な法律が制定されているが、実社会では依然としてシャリーアのきまりは道徳的規範として生きている。その内容はイスラーム世界独自のものが多く、例えば、結婚は、男性は妻を4人まで持つことが許されること、飲酒は禁止されていることなどがコーランにも記されている。

シャリーアとは

 シャリーアとは神が人間に示した「正しい生き方」を意味することばで、もとの意味は「水場への道」であった。コーランハディース(ムハンマドの言行録)に基づき、イスラームの信仰内容、儀礼から、国家の行政、家族、身分、商取引などあらゆる分野で体系化されている。

イスラーム法学

 このイスラーム法の正しい解釈を行うための学問がイスラーム法学であり、いわゆる固有の学問の核心にあたる学問とされた。またその解釈を行う法学者がウラマーであり、ウラマーの中で裁判に従事するものがカーディであった。しかし、時代が立つにつれて解釈の違いが出てきて、いくつかの学派が生じることとなった。現在まで続いているのはスンナ派の正統四法学派といわれるハナフィー派、シャーフィイー派、マーリキー派、ハンバリー派である。これらの法学派はお互いの学派を認め合っており、論争を継続してきた。<黒田壽郎編『イスラーム辞典』p.173 などによる>

カリフ政治とイスラーム法

 正統カリフ時代以降のウマイヤ朝、アッバース朝においても、カリフがムハンマドの後継者であるという宗教的権威によって統治されたので、イスラーム法は基本法の役割を果たした。エジプトに新都カイロを建設したファーティマ朝は、イスラーム教徒のための学院(マドラサ)として、972年にアズハル学院を開設した。当初はシーア派であったが、アイユーブ朝が成立してからはムスリム多数派のスンナ派の研究機関となり、イスラーム法学の最高権威とされた。14世紀に小アジアで成立したオスマン帝国も、支配を周辺に拡大していく過程でイスラーム法を統治の基本として、1517年にエジプトのマムルーク朝を征服してスルタンがカリフの地位を兼ねるスルタン=カリフ制の形式を整え、イスラーム法(シャリーア)による統治体制をつくりあげた。