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イブン=ハルドゥーン

チュニジア生まれのイスラーム歴史学の大家で『世界史序説』を著す。

 4世紀のアラブ世界で活躍した歴史家で、『世界史序説』で知られる独自の歴史哲学を展開した。1332年にハフス朝時代の北アフリカのチュニスで、ベルベル人ではなくアラブ人の貴族の子として生まれ、法学を学びんだ。チュニスで政争に巻き込まれてその地を去り、イベリア半島(アンダルス)のグラナダナスル朝のスルタンに仕えた。その後、モロッコのフェスやアルジェリアのトレムセンなどをへて故郷のチュニスに帰り、カーディー(法官)として活躍し、実際の行政にもあたった。この間、その主著であるイスラーム世界を通観した『世界史序説』を著し、イスラームを代表する歴史家とされている。その著では都市と遊牧民の交渉を中心に王朝興亡の法則性を探っている。晩年はマムルーク朝のカーディーとしてカイロに招かれ、1406年、その地で没した。
 現在のチュニジアの首都チュニスの旧市街には、イブン=ハルドゥーンの銅像が建っている。彼は現在もチュニジアの誇りとされている。<樺山紘一『地中海』2006 岩波新書 p.41>

ティムールとの会見

 14世紀末から15世紀にかけて、ティムールは次々を外征を展開した。1401年にはマムルーク朝のスルタン・ファラジュが率いる軍を一蹴して、ダマスクスを占領した。このときエジプト側を代表してティムールとの和平交渉に当たったのがイブン=バットゥータであった。すでに『歴史序説』の著者として高名であったイブン=ハルドゥーンは1382年以来、北アフリカからマムルーク朝治下のカイロに移り住み、そこで歴史学やイスラーム法学を講じていた。今回は若いスルタンから直々に請われてのダマスクス行きであった。  64才のティムールと68才のイブン=ハルドゥーンとの会見はダマスクス近郊のグータの森でおこなわれた。・・・会談の途中で、英雄ティムールはこの希代の碩学にサマルカンドへの同行をしきりに求めた。しかしイブン=ハルドゥーンは征服者の厚意に感謝しつつも、結局、最後には家族や友人にるカイロへの帰還を希望したと伝えられる。両者の会談は35日にも及んだが、この間にダマスクス市内では征服軍による略奪や放火や殺人が容赦なくおこなわれた。・・・<佐藤次高『イスラーム世界の興隆』世界の歴史8 中央公論社 p.317-319>
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ノートの参照
第5章4節 ウ.学問と文化活動
書籍案内

樺山紘一『地中海』
2006 岩波新書

佐藤次高
『イスラーム世界の興隆』
世界の歴史8
1971 中公新書