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マジャール人

ウラル語族に属し、西進してヨーロッパに侵攻、東フランクのオットー1世に敗れ、パンノニアに戻って定住し、キリスト教化。11世紀にハンガリー王国となる。現在のハンガリーも自らはマジャールと言っている。

 原住地はウラル山脈南西部と推定されているフィン・ウラル語族。原住地はウラル山脈の西側とされている。次第に西進し、黒海北岸を経て、アヴァール人がフランク王国のカール大帝に討たれて衰退したのに代わって9世紀にパンノニア(ハンガリー)に入り、周辺の先住民であるスラヴ系のチェック人などを征服しながら定住した。
注意 マジャール人は何系の民族か かつて日本ではマジャール人はアジア系とされていたが、現在ではそのようには断定できないとなっているようだ。しかし、また一部にはそのままアジア系という説明も残っている。試みに世界史用語集で調べると、山川版では「ウラル語系に属する」となっているだけだが、実教出版版では「アジア系でウラル語系の言語を使用した」、三省堂版では「ウラル語族に属するアジア系の民族」となっている。山川版でも2000年版では「非インド=ヨーロッパ語系の民族」とあり、さらに古い1980年代版には「アジア系民族。」と端的に書いていた。これには難しい語族の分類の問題があり、かつては「ウラル=アルタイ語系」とひとくくりにされていたために、マジャール人もアジア系とされてしまったのだが、現在はウラル語とアルタイ語は全く違うものであるというのが定説になっている。またその背景にはマジャール人とはハンガリー人のことで「ハン」は「フン」からきている、という説がかなり流布していたことがある。現在ではこれは俗説に過ぎないと否定されている。前世紀に世界史を勉強していた人にはマジャール人=アジア系という説明が頭にこびりついているのでしょうが、これは改めた方がよさそうです。 → ハンガリーの項参照

マジャール人の西進

 ウラル語族(フィン=ウゴール系ともいう)に属するマジャール人は、ウラル山脈(現在のロシアを東西にわかつように南北に並んでいる)の中~南部が原住地であったと考えられる。かなり早い時期に西側のステップ地帯に移動し、夏は家畜を連れて遊牧し、秋から春にかけて冬営地で農耕に住持するという半遊牧生活を送りながら、条件のよい土地を求めて西に移住していった。
 6世紀ごろ、ドン川とドニェプル川の間の地域に入り、その地でオノグルと言われるトルコ系のブルガール人の部族と接触し、一体化していった。このオノグルがヨーロッパに訛って伝えられてハンガリーという呼び名が生まれたと推定されている。
 9世紀に入るとマジャール人はドニェストル川流域に移り、そこでスラブ人やギリシア人と接触し、7つの部族に分かれて騎馬軍事集団を構成するようになった。ビザンツ帝国はこのマジャール人を利用してブルガリアを攻撃しようとしたが、ブルガリアは893年にペチュネグ人と結んでマジャール人を挟撃したため、マジャール人は軍事指導者アールパートに率いられて西方に逃れ、カルパチア山脈を越えてドナウ川中流のパンノニアに入った。ドナウ川以西にはモラヴィアとバイエルンがマジャール人を迎え撃ったが、モラヴィア王国は902年ごろ、マジャールによって滅ぼされた。また907年にはマジャール軍はプレスブルク(現在のブラチスラヴァ)でバイエルン軍を破った。<マジャール人とその西進については、南塚信吾『ドナウ・ヨーロッパ史』p.32-34 を参照>

西欧への侵攻

 10世紀にマジャール人は東フランクの東部に侵攻し、ゲルマン諸部族を脅かした。しかし、919年に東フランク(ドイツ王)のザクセン朝初代となったハインリヒ1世がドイツ諸王を統合し、エルベ東岸に進出すると、933年にはマジャール人はハインリヒ1世のドイツ軍に敗れた。
 しかし、930~950年代にかけて、マジャール人はアールパートの子ブルチュに率いられて西ヨーロッパへの略奪遠征を繰り返した。その遠征はフランス、イベリア半島、イタリアに及び、西欧のキリスト教徒はこの異教徒の侵攻をかつてのフン人の再来と思い込んで非常に恐れた。

ドイツ王オットー1世に敗れる

 マジャール人はドイツ侵攻を続けたが、東フランク側でも次第にその騎馬戦法に慣れてきて、態勢を立て直し、ハインリヒ1世の子のオットー1世は、955年レヒフェルトの戦いでマジャール軍を迎え撃った。マジャール軍はそこで大敗し、西進は出来なくなったため、東方に後退しパンノニア平原(現在のハンガリー)に戻り、その地で定住生活を入ることとなった。

マジャール人の国家

 その後、国家統一を進め、1000年にイシュトヴァン1世のときにハンガリー王国を成立させた。王はローマ=カトリック教会に改宗し、キリスト教文明を受けいれた。それによってローマ教皇から「国王」の称号を認められた。
 なおその直後、西ヨーロッパで十字軍運動が始まり、第1回十字軍が派遣されたが、民衆のなかに自発的に起こった民衆十字軍の一部はハンガリーに入り、マジャール人を異教徒と思い違いをして襲撃し、反撃したマジャール人に殺害されるという事件もおこっている。
 なお、現在のハンガリー人も自らはマジャールと称し、国号もマジャールと言っている。ハンガリー人、さらにハンガリーという国号は英語からきており、他民族が彼らをそう呼んだものにすぎない。
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南塚信吾編
『ドナウ・ヨーロッパ史』
新版世界各国史 19
1999 山川出版社