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アイスランド

大西洋の北部にある火山島。ノルマン人(ヴァイキング)が進出、その一部はグリーンランド、北米大陸へも移住した。

 アイスランドはグリーンランドとスカンジナビア半島の中間、北極圏のすぐ南に位置する。氷河が多数残っている一方、火山が現在も盛んに活動している。まずアイルランドから修道士たちが移り住んでいたが、9世紀にノルウェーノルマン人(いわゆるヴァイキング)の入植が始まった。現在首都レイキャヴィークにそのリーダーだったインゴルフ=アーナソンの記念像が建っている。その後の930年から1030年頃までは古伝説であるサガが盛んに作られた時代だった。 → 現代のアイスランド共和国

ヴァイキングの移住

 ヴァイキングとして知られるノルウェーのノルマン人がアイスランドに移住したのは、930年のインゴルフル=アルナルソンに率いられた一族が最初であった。『サガ』の伝承によれば、当時ノルウェーではハーラル1世(美髪王)が初めて国内の統一に成功したが、その統治に服することを拒否したノルウェーの豪族たちの中には、海外に逃れるものが多く、彼らがヴァイキングとなったのだった。インゴルフル=アルナルソン一族もその一団であり、スコットランドと周辺の島々を襲撃し、移住した。ハーラル1世はその一掃を企てスコットランドのヴァイキングの本拠を襲い、敗れた一団は北方の海上のアイスランドに逃れた。

Episode レイキャヴィクの意味

 ハーラル1世に追われたインゴルフル=アルナルソンは、女子供の他、家畜まで連れて行った。伝えるところでは、彼は自分の館を支えていた大きな柱を数本たずさえ、アイスランドが見えたとき、それを海中に投げ込んで、この柱の流れ着いた地点に住居を設けようといい、そこがレイキャヴィクであった。それは「煙の立つ入り江」という意味で、当時は温泉の湯煙が立っていたのであろう。首都となった現在でもレイキャヴィクでは市街の周辺百カ所あまりから地下の温泉を汲み上げて、市内の全戸に温水を供給している。

世界最初の共和国 ヴァイキングの政治集会アルシング

 ヴァイキングは政治集会で物事を決めていたが、930年から毎年夏の二週間、この地に全島のヴァイキングが集まって市場やスポーツを兼ねて政治集会(アルシング、アルシンギ)を開くようになった。これは世界最古の議会でもある。
(引用)アイスランドに移住した人々は、国王の圧制から脱れて、自由な社会を享受していた。外敵の危険もないし、土着民の抵抗もない。また、他の国々をおそったヴァイキングの攻撃も受けなかった。そんなわけで、930年には、アルシングという国民会議が設けられ、世界で最初の共和国が誕生した。当時は、国家といえば、王様や皇帝がいないと成立しないと思われていたが、そういう通年を破って、極北の孤島に、共和国が誕生したのである。・・・部落の長や自由耕作者や女房連中まで集まってきた。レイキャヴィクから、東へ約50キロの距離にあるシングヴェリルである。集会のための平原という意味である。集会は、六月に十四日ほど開かれた。六月といえば、極北の気候もわずかに春めいてくるころである。人びとは、長い暗い冬が過ぎ去ったことを心から喜んでいる。アルシングは、そんな季節に開かれるのである。48人の部落の長と96人の自由耕作者の代表が選ばれて出席した。むろん、国民会議だから、傍聴者の数ははるかに多い。・・・<荒正人『ヴァイキング』1968 中公新書 p.34-35>

ノルウェーとデンマークの支配

 12、3世紀頃はノルウェーとの頻繁な往来があったらしく、エッダ(いわゆる北欧神話)を記録したスノリ=スチュールルソンが現れた。1262年からはノルウェーの支配を受けることとなり、立法権、司法権は大きく削減され、アルシングの開催も形式的なものとなった。
 1380年からはデンマークの統治に服することになった。17~18世紀には火山の爆発による気候不順のため人口が減少し、デンマーク政府は島民のデンマーク移住を計画したほどであった(実施はされず、やがて回復した。)
 民衆の間ではアルシングの再開を望む声が強く、1843年に諮問機関として復活した。1874年にはデンマーク王の拒否権を認めたうえで、立法権を再び獲得した。1930年にはアルシング創設1000年祭が営まれた。
<以上、荒正人『ヴァイキング』1968 中公新書/武田龍夫『物語北欧の歴史』1993 中公新書 p.213~>

アイスランド共和国

アイスランド国旗

1944年、第二次世界大戦で本国のデンマークがドイツに占領されている最中に、独立を宣言し、ヴァイキング時代の議会であるアルシングの機能も回復させた。

 アイスランドは北大西洋の北極圏のすぐ南に位置する島国。北欧諸国に属している。大きさは北海道ぐらい。人口は約31万人。首都はレイキャヴィック。宗教はプロテスタントのルター派。言語はアイスランド語。

アイスランドの独立運動

 アイスランドは13世紀からノルウェー、14世紀末からデンマークの統治を受けているが、ヴァイキングの活動していた10世頃から「アルシング(アルシンギ)」という一種の議会で衆議するという伝統をもっていた。
 19世紀には次第に民族意識が高まり、1874年にしばらく中断していたアルシングを再開し、デンマークと財政に関する協議権を獲得し、さらに1918年にデンマークと同君連合(デンマークの国王を戴く独立国)となった。第二次世界大戦では1940年6月にデンマークがナチス・ドイツに占領されるると、イギリス軍が先手を打ってアイスランドに上陸、41年にはアメリカ軍が進駐した。本土と分離されたことで完全独立の機会が生まれ、1944年6年に国民投票を実施、圧倒的多数で独立を決め、共和国として独立宣言をした。デンマークはこれを黙認した。

戦後のアイスランド

 戦後の冷戦の時代には、アメリカはアイスランドが北極海をはさんでソ連と対峙しているというその戦略的位置から重視し、一方のソ連も接近をアイスランドに働きかけた。1949年にアイスランド議会はNATO加盟を決定した。その後アメリカ軍基地が設置され、雇用などでアイスランド経済にとって大きな恩恵とされた。その後もNATOの一員として継続しているが、イギリスとの漁場をめぐる対立などがありEUには加盟していない。NATO加盟、EU未加盟という姿勢はノルウェーと同じである。

タラ戦争

 アイスランドは漁業が唯一の産業であるため、近海漁場を保護するため、漁業水域を1958年には12海里にすることを宣言、さらに75年には200海里に拡大した。これに対してイギリスはスコットランドの漁民の漁業権を守るため圧力をかけてきた。アイスランドは国防軍はなかったが、警備艇がイギリス漁船の網を切ったりする体当たり攻撃を敢行、NATO脱退をほのめかしながらアメリカの仲介を引き出し、ついにイギリス漁船を閉め出すことに成功した。

経済破綻とEU加盟問題

 アイスランドはヨーロッパ連合(EU)には加盟していないが、シェンゲン協定(パスポート無しでの国境通過などの人的協力)には加盟し、ヨーロッパ諸国とは司法・内政分野における協力等を通じて協調ている。それはタラ戦争に見られるように、イギリスなどとの漁場の共用をさまれることをさけ、漁業水域を守れと言う漁業関係者の要求によるものである。ところが2008年後半の世界金融危機に直面してにわかにEU加盟、ユーロ導入の世論が強まり、EU非加盟を掲げていた政権が総辞職した。こうしてアイスランドはEU加盟問題で国論が割れる状態となっている。
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ノートの参照
第6章1節 キ.外敵の侵入と西ヨーロッパの混乱
書籍案内
ヴァイキング表紙
荒正人
『ヴァイキング―世界史を変えた海の戦士』
1968 中公新書

武田龍夫
『物語北欧の歴史』
1993 中公新書