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ノルウェー

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北欧諸国の一つでスカンディナヴィア半島西側の大西洋に面した、ノルマン人が建国した国。独立したノルマン人の王国であったが、14世紀からデンマーク、1814年からはスウェーデンとの同君同盟とされ、実質的な支配を受け続け、20世紀初頭に独立した。


ノルウェー(1)ノルマン人の国家建設

ノルマン人は盛んに海洋進出を行う一方、スカンディナヴィア西岸のフィヨルド地帯に9世紀頃ノルウェーを建国した。しかし、カルマル同盟を結成してデンマークの実質的支配下に置かれることになった。

ノルマン人の活動

 スカンディナヴィア半島西側の大西洋に面してリアス式海岸が延々と続き、その入り江を拠点としたノルマン人は盛んにヴァイキングとして活動した。彼らはヨーロッパ各地やアイスランドグリーンランドに入植、一部はアメリカ大陸にも到達した。

ノルウェーの建国

 一方、本拠地に残っていたノルマン人は、9世紀末に統一国家への歩みを始め、11世紀初めにキリスト教を受容して国家体制を作り上げた。これが北欧諸国の一つであるノルウェーの建国であるが、11世紀後半にはデンマーククヌート王の支配を受けており、自立するのは13世紀ごろ、法整備が進み、首都オスロが建設されてからである。大西洋側のベルゲンは商業都市として、ハンザ同盟の在外商館が置かれた。

カルマル同盟とノルウェー

 1397年にはデンマークを上位国とする北欧三国のカルマル同盟が成立し、実質的にはデンマークのマルグレーテ女王の支配を受ける。カルマル同盟は1523年にスウェーデンが分離して実質的に解体したが、ノルウェーはその後も長くデンマークとの連合王国として実質的なデンマークの宗主権下におかれる。その結果、ノルマン人の入植地であったグリーンランドもデンマーク領となった。

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ノルウェー(2)独立宣言から独立承認へ

1814年、スウェーデンから独立宣言。1905年に分離独立が承認され、デンマーク王家から王子を迎え王国となる。

 ノルウェーはスカンディナヴィア半島西部で、9世紀から続くノルマン人の王国であったが、カルマル同盟解体後もデンマークを同君連合として実質的にその支配を受けていた。

独立宣言

 ナポレオン戦争のときデンマークがスウェーデンに敗れたため、1814年からはスウェーデンに割譲された。反発したノルウェーでは、同年5月17日に憲法を制定してノルウェー王国として独立宣言を行った。この日が現在もノルウェーの独立記念日とされている。
 しかし、スウェーデンは軍隊を派遣してそれを抑えつけた。内政面の自治を認めたが、外交・防衛はスウェーデンが握り、カール14世が統治する同君連合となった。

ノルウェー王国の独立承認

 19世紀には、ヨーロッパ各地の民族主義、自由主義、さらに社会主義の運動がノルウェーにも波及し、次第に独立の気運が強まり、1905年に自治議会は独立を宣言、国民投票で圧倒的多数の賛成を得た。スウェーデンもこの独立を阻止することができずに容認した。
国民投票で王政を選択 ノルウェーは同年内に再度国民投票を行い、王政か共和政かを国民に問うたところ、王政支持が上回ったため、デンマークの王家から王子を迎えて国王とし、ノルウェー王国が発足することとなった。

ノルウェーの文化

 19~20世紀、ノルウェーのナショナリズムが高揚する中で、文化面で注目すべき人々が現れた。まず近代演劇に衝撃を与えた『人形の家』などの作品のイプセン、画家では表現主義で世界を驚かせたムンク、音楽では『ペールギュント』の作曲家グリーグ、医学ではハンセン(ハンセン病の病原菌を発見した)、探検家ではナンセン(グリーンランドの探検)とアムンゼン(南極探検)、ヘイエルダール(コンチキ号で海洋探検)などがいる。

ノルウェー(3) ノルウェー王国の現在

ノルウェー国旗

第二次世界大戦ではドイツ軍の侵攻を受ける。戦後の東西冷戦期にNATOに加盟したが、ヨーロッパ連合(EU)には加盟国していない。

 スカンジナヴィア半島西側のフィヨルドの発達した海岸沿いに南北に長い国土を持つ、ノルマン人の国。北欧諸国の一つ。国土は日本とほぼ同じ面積で人口は約460万。首都はオスロ。現在は立憲君主国だが、北欧三国と同じように高い教育水準と福祉制度を持つ国家。プロテスタントのルター派が国教。

第二次世界大戦

 第一次世界大戦では他の北欧諸国と共に中立を守った。内政では社会民主主義政党の労働党がたびたび政権を担当し、福祉国家としての基礎を早くも戦争前に建設した。第二次世界大戦中、1940年4月にはドイツ軍のノルウェー侵攻があり、ドイツ軍の占領下に置かれ、激しいレジスタンスが行われた。

東西冷戦下の苦悩

 第二次世界大戦後は、東西冷戦の渦中でノルウェーは厳しい立場に置かれた。それはスカンジナビア半島北部で直接ソ連と国境を接し、ソ連の北方艦隊の基地であるムルマンスクを監視し、また北極海のスピールバール諸島が対ソ連の重要な戦略的位置にあったためである。戦後のノルウェーには米ソ両陣営から強力な働きかけがあったが、結局ノルウェーはマーシャルプランを受け入れ、ついで1949年4月に北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。ソ連は激しくノルウェーを非難、その後、領海をめぐってたびたび紛争が起こった。

NATOには加盟だが、EUには未加盟

 このように軍事的にはNATOの一員となったノルウェーであるが、ヨーロッパの経済統合には一線を画している。1960年のヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)には加盟したが、1972年のヨーロッパ共同体(EC)加盟の是非を問う国民投票では51%が反対で否決された。背景には1970年代に開発が進んだ北海油田があり、独自のエネルギー資源に支えられて高い経済成長を維持していたことがあげられる。80年代から経済は後退期に入ったが、1994年のヨーロッパ連合(EU)加盟の国民投票でも加盟は否決された。欧州共通通貨ユーロの使用に対しても否定的で、伝統的な通貨クローネに固執している。

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武田龍夫
『物語北欧の歴史』
1993 中公新書