印刷 | 通常画面に戻る |

カリカット

インド西海岸の港市。ムスリム商人や永楽帝の派遣した鄭和、後のポルトガルのヴァスコ=ダ=ガマが来航した。

 インド西海岸マラバール地方、アラビア海に面した古くからの港市。中国では古里と表記。アラビア海をダウ船で往来するムスリム商人の重要な寄港地で、やや南のコチンとともに香辛料の積出港であり、ホルムズ、アデン、イエメン、東アフリカの諸港と結び、さらにモルジブ諸島、セイロン島からベンガル湾をへて東南アジア、さらに中国にむかう海上交通の要衝であった。14世紀にはイブン=バットゥータが訪れたことが『三大陸周遊記』にも出てくる。

鄭和の来航

 1406年に中国明王朝の鄭和がこの地に到達、永楽帝の詔勅と銀印をカリカットの王に与え、以後第3回までの航海はいずれもカリカットを目的地としたものであった。しかし、永楽帝の次の時代には明は積極的な海外進出策を放棄したので、中国商人の渡来は途絶えた。

ポルトガルの進出以後

 14~17世紀はヒンドゥー教国ヴィジャヤナガル王国が南インド一帯を支配したが、カリカットには独立性の強い藩王がおり、ムスリム交易圏の中心地として繁栄していた。そこに1498年、ポルトガルヴァスコ=ダ=ガマ船団が到来し、16世紀初めにポルトガルは武力でインド洋のムスリム勢力を排除して、香料貿易を中心とするインド貿易の独占をすすめていくが、後続のオランダ、イギリスに次第に実権を奪われていく。やがてイギリスのインド支配が確立すると、カリカットも1792年にイギリス領となった。なお、インド原産の綿花を原料とする綿織物の一種をヨーロッパでキャラコ(キャリコ)というのは、「カリカット製の布」の意味であった。