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カルカッタ/コルカタ

ガンジス下流の大都市。イギリス東インド会社の商館が置かれ、インド支配の拠点だった。現在のコルカタ。

 インド東部、ガンジス川下流のベンガル地方の中心都市。現在は、本来の地名であるコルカタと言われている。17世紀にインドへの進出を開始したイギリスは、ベンガル地方でははじめにフーグリなどにイギリス東インド会社の商館をおいたが、ムガル帝国のアウラングゼーブ帝の時にその怒りを買うことがあって追い出され、そこから南に下った不健康地に拠点を移さざるを得なくなり、1690年にカルカッタの町を建設した。ベンガル太守と要塞建設の交渉を重ね、ようやく1696~1702年にウィリアム要塞を建設した。その後カルカッタはベンガル地方の管区都市として発展し、イギリスのインド貿易、さらに植民地支配の中心地の一つとして重要な都市となった。イギリスの植民都市としては、南インド東海岸のマドラス(現在のチェンナイ)・西インド海岸のボンベイ(ムンバイ)と並ぶ三管区都市の一つとなった。

ベンガル総督の設置

 1773年にはベンガル総督がこの地に置かれ、植民地としてのインド統治の重要な機関となった。ベンガル地方は商工業、機械工業、金融業も起こり、カルカッタは特にベンガル地方のジュート生産の集積地として繁栄した。
 イギリスの植民地支配に対するインドの民族運動が高まると、1906年には国民会議派がここで大会を開催し、カルカッタ大会四綱領を決議し、それ以後の運動の指針とされた。
 20世紀の初め、政治の中心はデリーに移り、さらにインド独立に際して後背地がパキスタン(東パキスタン。現在のバングラディシュ)として分離したため、次第に衰退した。現在はインドの西ベンガル州の中心都市となっている。この地は長く英語表記をもとにカルカッタとされていたが、インドでの植民地時代の地名の改訂が進み、現在では本来のコルカタに戻されている。
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9章2節 ア.アジア市場の攻防