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プレヴェザの海戦

1538年、オスマン帝国の海軍がスペイン(神聖ローマ帝国)海軍などを破り、地中海の制海権を獲得した海戦。

 1538年、スレイマン1世の時、オスマン帝国の海軍が、スペイン(カルロス1世=神聖ローマ帝国カール5世)・ローマ教皇・ヴェネツィア共和国の連合海軍を破り、地中海の制海権を獲得した海戦。プレヴェザは東地中海のギリシア西岸。前31年のアクティウムの海戦のあった海域に近い。
 16世紀には地中海の制海権は、ヴェネツィア共和国が後退し、オスマン帝国スペインのハプスブルク家の抗争という様相となっていた。1538年、スレイマン1世のオスマン海軍はアドリア海から西地中海の海域で神聖ローマ皇帝カール5世とローマ教皇(パウルス3世)、ヴェネツィアのキリスト教国の連合艦隊に攻撃を仕掛け、ギリシア東岸のプレヴェザ沖で大勝した。これによって制海権を西地中海にも拡大(クレタ島、マルタ島、キプロス島は除く)、この結果、地中海は「スレイマンの海」と化した。
 なお、スレイマン1世の死後の1571年、オスマン海軍がキプロス島を攻略したことに危機感を持ったスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の三者が連合艦隊を編成し、レパントの海戦でオスマン海軍を破った。スペインの無敵艦隊の活躍が強調され、これによってオスマン帝国の地中海支配は終わったように説明されることもあるが、事実はオスマン海軍はすぐ再建され、1574年にはチュニスを征服し、地中海制海権を回復している。オスマン海軍の地中海支配は、なおも17世紀まで維持され、帝国そのものも明らかに衰退に向かうのは18世紀からである。

Episode 海賊バルバロス

 プレヴェザの海戦で、オスマン海軍を指揮して勝利に導いたのは、海賊として恐れられていたバルバロスであった。本名をフズール、広くハイル=アッディーンとして知られたこの男はエーゲ海のレスボス島の出身で海賊となり、チュニスやアルジェリアを奪って拠点とし、西地中海を荒らし回り、バルバロス=ハイレッティンとして西欧人から恐れられていた。バルバロスとは、バルバロッサに同じく赤ひげのことである。彼が1533年、艦隊を率いてイスタンブルに現れ、帰順を申し出た。スレイマンは謁見して帰順を認め、彼をオスマン海軍の最高司令官に任命し、パシャの称号を与えた。これによってオスマン海軍は急速に強大となったという。
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ノートの参照
7章3節 トルコ・イラン世界の展開