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スペイン=ハプルブルク家

ハプスブルク家のカール5世の後、スペイン王として分かれた家系。

 ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)は、皇帝位を退くにあたり、広大はハプスブルク帝国の支配、管理は困難と考え、帝国を分割、その子フェリペ2世にスペイン、ネーデルラント、南イタリアなどを統治させた。これがハプスブルク家の分裂であり、フェリペの子孫の家系をスペイン=ハプスブルク家という。その本国であるスペインは16世紀に「太陽の沈まぬ国」と言われた全盛期を迎えた。ただし、オーストリア=ハプスブルク家との関係は、基本的には対立・抗争することなく、その勢力範囲を分担し、フランスのブルボン朝を共通の敵としていた。

全盛期から衰退期へ

 フェリペ2世の1568年、その支配地域であったネーデルラントの北部7州で、カトリック信仰の強制などに対するカルヴァン派新教徒の反乱がはじまり、81年に独立を宣言、それを支援したイギリスを討つために1588年に無敵艦隊を派遣したが、イギリス海軍に敗れ、1609年には事実上その独立を認めざるを得なかった。17世紀には三十年戦争でも介入したが敗れて、オランダの独立を承認した。フェリペ3世・4世と続くスペイン=ハプスブルク家は急速に衰退した。 → スペインの衰退
 それは、スペインが新大陸からもたらされた銀などの富を、宮廷の奢侈生活に浪費するだけで、ヨーロッパの他の領土や植民地からの資源に依存するのみで毛織物以外の国内産業を育てるなどの努力を怠ったためであると考えられている。

スペイン継承戦争

 スペイン=ハプスブルク家はカルロス2世を最後に1700年に断絶。その王位継承をめぐってフランス王ルイ14世が介入し、孫のフィリップを王位につけようとした。翌年から始まったスペイン継承戦争の結果、ユトレヒト条約によってフィリップつまりフェリペ5世の王位は承認され、スペイン=ブルボン王朝が成立した。
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ノートの参照
8章4節 ウ.スペインの全盛期