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ユグノー

フランスにおけるカルヴァン派の新教徒を言う。

 宗教改革の中で、フランスにおけるカルヴァン派の新教徒をユグノーという。その語源は諸説あって一致しないが、ジュネーヴはフライブルク、ベルヌと共に、改革主義を採用することで同盟を結んでいたので、同盟 eidgenossen (アイドゲノッセン)という言葉から、ユグノーという言葉が出来たという説もある。また幽霊を意味する「ユゴン」からでたとも言う。 → プロテスタント

ユグノー戦争とナントの王令

 カルヴァンの思想の根幹である予定説が、現世における勤勉こそ神の意志に沿うことであり、その結果得られた富は神から与えられたものであるという理念となり、それが商工業者に受容されて、カルヴァン派は都市部を中心に広がった。宮廷の有力貴族の中にもカルヴァン派の信仰に入り、ユグノー派となるものも増えてきた。その結果、貴族層の中でのカトリック派とユグノー派の対立は次第に深刻となり、それに王位継承問題の思惑がからみユグノー戦争(1562~98年)が起こる。その過程ではカトリック派の摂政カトリーヌ=メディシスによる新教徒弾圧事件である1572年のサン=バルテルミの虐殺などが起こった。この宗教戦争は、王位に就いたユグノー支持のブルボン家のアンリ4世がカトリックに改宗し、さらに1598年にナントの王令を出されてカルヴァン派の信仰を認めらることで終結した。
 しかしブルボン朝の絶対王政が安定したルイ14世の時、1685年にナントの王令廃止され、多くのユグノーは国外に移住し、フランスでは新教徒は急激に減少し、カトリック国となる。またそのため、フランスの産業の発展は大幅に遅れることとなったと言われている。
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ノートの参照
8章3節 イ.カルヴァンと宗教改革の広がり