印刷 | 通常画面に戻る |

常備軍

ヨーロッパの主権国家で封建的な武力に代わって国家の対外的な戦力となった。

 中世封建社会(さらに古代のギリシアや、古代国家の解体期でもみられたが)における軍事力の主体は傭兵制度によるものであった。傭兵は必要なときに雇用されるものであって常備軍ではなかったが、主権国家の形成とともに領土抗争を展開したヨーロッパ諸国は、次第に常に一定の兵力を維持する必要が生じ、そのために国民から徴兵することによって兵力を得る(徴兵制)システムが作られるようになった。このような常備軍は「国民軍」として絶対王政をとる諸国どうしの戦争の主力となるようになった。常備軍は職業的軍人と、国民から徴兵される兵士から成り、歩兵が火砲をもって兵力の中心となる。当初、職業的軍人には旧貴族階級がなる場合が多かった(ドイツにおけるユンカー階級など)が、次第に庶民から軍人になる道が開かれていった。

徴兵制による国民軍の形成

 なお完全な徴兵制への移行は、市民革命後に進行したと考えられ、その転機となったのがフランス革命での1793年~1798年の徴兵制の整備であった。
 さらに帝国主義時代になると、戦艦、航空機、巨砲などの装備をもつ軍隊を各国が拡充することを競争し、最も強大な軍隊を持った国が優位に立てるという軍国主義の風潮が広がった。しかい、常備軍の存在が各国の財政負担となる面も見逃せない。常備軍の縮小、あるいは廃止の論調も出たが、帝国主義間の競争、植民地側の抵抗の抑圧などのため常備軍は不可欠との思想が蔓延した。

参考 常備軍の廃止の世界史的な流れ

 ナポレオン戦争がまさに始まろうとしていた1795年、ドイツの哲学者カントは『永遠平和のために』を表し、各国が常備軍を廃止し、平和維持のための国際機関を創設することを提唱した。その後も各国は常備兵力を増強し、二度にわたる世界戦争を体験することになった。しかしの間も国際社会は、第一次世界大戦後は集団安全保障の理念の下、各国が常備軍拡充を自制することをめざし、また数回にわたり軍縮会議を開催し、海軍の常備兵力の削減をめざした。しかし軍備を取り上げられたドイツが軍備の不平等を非難し、再軍備の権利を主張してヒトラー=ナチスが登場、アジアでは日本のような後発国も軍備拡張の権利を主張し、世界は世界戦争の再発を防げなかった。第二次世界大戦後の東西冷戦は米ソ両大国を中心とした軍拡競争は核兵器を常備する競争へとエスカレートし、国際社会は破滅的な核戦争の危機を意識せざるを得なくなり、米ソ両国も核戦力は共同歩調で削減に向かわざるを得なかった。そのような中、「戦力の放棄」という究極の軍縮を掲げてて制定された日本国憲法の世界史的な意義は大きい。冷戦の過程で自衛隊がつくられ、その一定の役割を認める動きが強まっているが、それを「軍隊」として認めようとする動きは、カント以来の世界史の「常備軍の廃止」という理想から離れていくことになる。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
9章1節 ア.重商主義