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集団安全保障

国際連合憲章に定める世界平和維持のための基本的な理念。第一次世界大戦の惨禍を反省し、それ以前の強国間の集団的自衛権をもとにした軍事同盟の均衡に依存する平和維持に代わり、集団安全保障による戦争防止をかかげた国際連盟から継承した理念であり、現代の平和理論の柱となるものである。それは国連の場における多国間交渉を前提としているが、冷戦後にアメリカなどの単独行動主義を取る強国が現れ、集団安全保障が脅かされている。

 国際連合憲章第1章第1条に国際連合の目標として「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること。」とあるように、国際連合は集団安全保障の理念に基づく国際平和機関として設立された。つまり、平和をみだしたり、侵略行為を行った国に対して、国際社会が協力して集団的措置をとることによって鎮圧し、防止しようという理念である。
注意 集団安全保障と集団的自衛権は言葉として似ているが、まったく異なる考え方であり、真逆な意味をもつので注意を要する。 → 集団的自衛権の項を参照。

歴史的意義

 集団安全保障とは、第一次世界大戦の講和条約、ヴェルサイユ条約の第一編である国際連盟規約に「戦争または戦争の脅威は、連盟加盟国のいずれかに直接の影響があるか否かを問わず、すべて連盟全体の利害関係事項」(連盟規約11条)であり、「約束を無視して戦争に訴える加盟国は、当然に他のすべての加盟国に対して戦争行為を為したものと見なす」(同16条)という規定で定められている。
 19世紀までの特に欧米近代では、それぞれの国家が「国家の交戦権」(または「戦争の自由」)を当然の権利(自然権)として所持し、さらに集団的自衛権を行使することが出来ることを自明のこととしてして軍事同盟(しかも秘密外交によって)を結び、勢力を均衡させることで平和を維持する(勢力均衡論)という思想が支配的であった。しかし、集団的自衛権に基づく戦力均衡論はサライェヴォに響いた銃声でもろくも崩れた。そして第一次世界大戦という人類全体の最初の悲惨な戦禍がもたらされた。そのような世界戦争への痛切な反省から、アメリカ大統領ウィルソンなどが提唱した理念であり、国際連盟規約によって具体化された定義であった。
 第一次世界大戦後のヨーロッパでは、ドイツ賠償問題からフランスなどのルール占領が行われ、戦争の再発の危機となったが、1925年ロカルノ条約が地域的な集団安全保障条約として締結され、衝突は回避された。その後、ナチス=ドイツの台頭は集団安全保障の理念そのものを否定し、再び軍事同盟を操ることで国際的地位を高めようとして日独伊三国同盟独ソ不可侵条約などを締結、世界戦争に突き進んだ。戦前の日本政府および日本軍には集団安全保障という理念はほとんど理解されず(新渡戸稲造など一部を除いて)、満州事変後にごく簡単に国際連盟から脱退してしまった。その第二次世界大戦を経て連合国が結成した国際連合は、憲章によって集団安全保障をより強固なものにしようとした。

集団安全保障の規定

 国際連合は国際連盟の精神を受け継ぎ、国連憲章第1章第1条に集団安全保障の理念を掲げたのだった。さらに集団安全保障の前提としての各国の個別の武力所持を「慎まなければならない」(憲章第2条4項)という弱い表現ではあるが、原則禁止とした。
 その上で、安全保障理事会に対し、国際平和に敵対する行動に対する武力的制裁を行う権利を義務を与えたのである。当然その行使にあたっては、紛争の平和的解決(交渉、仲介、調停など)をはかり(第33条)、処置も暫定処置(第40条)、非軍事的措置(第41条)、軍事的措置(第42条)という段階を踏まなければならないと規定されている。

個別的または集団的自衛権との矛盾

 以上のように国際連合の理念は、武力の所持・行使の禁止と集団安全保障による紛争の解決であるが、にもかかわらず、なおも各国が軍備を所有し、しかも大国は核兵器という大量殺戮兵器を持ち、また軍事同盟が締結されつづけているのはなぜだろうか。それは、国連憲章第51条で各国の個別的および集団的自衛権が認められたからであった。個別的・集団的自衛権の規定は、武力行使禁止・集団安全保障の規定とは矛盾するが、これはいわば現状との妥協的な規定である。この51条の規定をもって自衛権は国家固有の自然権として認められていると解釈するのは、第一次世界大戦後の世界が、国際連盟規約や不戦条約、ハーグ平和条約などで積み重ね、国際連合憲章で確定させた「戦争の違法性」の観点からみて誤っている。現状は過渡的に各国が武装していても、軍縮への努力を進めるべきであり、ましてや核武装して先制的な自衛権を行使することや集団的自衛権を強化するのは歴史に逆行する愚行であることは明らかである。
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