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長老派/プレスビテリアン

イギリスのプロテスタントの一派で、長老主義をとり、教会は長老の合議によって運営されるべきと主張した。ピューリタン革命の時期に長期議会の中で穏健な立憲王政を主張し、多数派を形成した。またスコットランドにはその信徒が多かった。プレスビテリアンともいう。

  宗教改革期のカルヴァン派プロテスタント(新教徒)であり、プレスビテリアン(Presbyterian)とは長老のことなので、長老派ともいう。カトリック教会の司教制度を認めず、聖書を重視するという広い意味でピューリタン(清教徒)の一派とされるが、彼らは、一般信者のなかから経験の深い指導者を選んで長老とし、教会を運営すべきであるという長老主義(長老制度)を主張した。長老派=プレスビテリアンは特にスコットランドのプロテスタントに多かった。
 イギリス宗教改革によって成立したイギリス国教会の国王を中心とする主教制度にも反対した。しかし、長老の存在を否定し、純粋なプロテスタントの信仰と信徒の平等を主張するイングランドのピューリタンからは批判されるようになった。 → イギリスの宗教各派

ピューリタン革命では議会の多数派となる

 ピューリタン革命での長期議会では、議会派の中で穏健な立憲王政を主張する多数派となり、ロンドンの大商人や貴族層、上層のジェントリには長老派を支持するものも多く、国王に対してはこれ以上の追求には反対し、革命を収束させる方向に向いていった。それに対して各教会の独立を主張するピューリタンを主体とした独立派クロムウェルに主導されて軍事力を身につけ、革命の主導権を握り、共和制を志向していった。

クロムウェルによる長老派の追放

 革命が進行する中で、国王チャールズ1世の処置を巡って王政の維持、立憲君主政を志向した長老派と、共和制を主張した独立派との対立が次第に鮮明となって行き、長老派は1648年にはクロムウェルによって長期議会から追放されてしまった。
 クロムウェルの独裁の時代は冷遇されたが、ピューリタン革命が行き詰まると次第に勢力を盛り返し、クロムウェル没後、王党派との妥協を図って王政復古を実現させた。しかし、チャールズ2世・ジェームズ2世のカトリック復興の中で再び弾圧され、スコットランドなどに移住する者も多かった。議会と国王の対立が激しくなる中で議会が1673年に審査法を制定すると、長老派も非国教徒として公職に就くことが出来なくなった。名誉革命の翌年1689年の寛容法によって信仰の自由は認められたが、公職に就けない状況は変わらなかった。
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ノートの参照
9章1節 イ.イギリス革命