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市民革命/ブルジョワ革命

西ヨーロッパ封建社会末期の絶対王政を倒し、市民社会を出現させた変革。ブルジョワ(産業資本家層)が政治的権力を握った革命と見ることもできる。

 一般に市民革命は、領主・農奴関係などの封建社会、その上に成り立つ国王が絶対的な権力を有している絶対王政に対して、市民(ブルジョワジー)が蜂起して実力で市民の自由・平等、政治的権利などを獲得した変革をさす。一般的にはその主体がブルジョワであったのでブルジョワ革命と言われている。
 市民革命は、17世紀のイギリス革命に始まるが、それは市民革命としては不十分な面があり、18世紀末のアメリカ独立革命で最初の市民社会と市民の政治的権利が確立した共和政国家が成立し、さらに典型的な市民革命としてフランス革命が展開されることとなる。これらの大西洋を挟んで展開された革命運動と、イギリスの産業革命を連鎖的な革命運動ととらえる大西洋革命というとらえかたもある。

市民革命の概念

 「市民」とは、「貴族」や「領主」、「特権的大商人」、「大地主」などに対する階級概念であり、初期には手工業工場主、小地主などとして資本を蓄え、産業革命を経て資本家となった階級であり、有産階級「ブルジョワジー」(その単数形がブルジョワ)とも言われる。従って一般には市民革命は「ブルジョワ革命」の訳語として用いられる。ただし、日本では「市民」概念に混乱があるため、マルクス主義で言うブルジョワ革命の訳語として「市民革命」があてられたが、西欧ではそのままの「市民革命」ということばはなく、それは日本語だという指摘もある。(樺山紘一『世界史の知88』新書館 p.111) → 市民社会

いろいろな市民革命

 「市民革命」は「市民社会」を出現させたというが、実際にはその通りであったのはアメリカ独立革命ぐらいのもので、その先駆とされるイギリス革命は17世紀に起こってイギリス立憲君主制を成立させたが、貴族や地主(ジェントリ)に替わる市民(ブルジョワ)の成長はまだ不十分であり、彼らが権力を握るのは産業革命を経た後の19世紀前半の自由主義的改革が展開された時期であった。また、18世紀のフランス革命でもたしかに王政は倒され、封建的特権は廃止され、人権宣言も出されたが、一気に市民社会が実現したのではなく、ナポレオンの帝政、復古王政、七月王政、1848年の二月革命、ナポレオンの第二帝政、パリ=コミューンを経て、第三共和政の時期に「市民社会」が完成するという複雑な課程をとっていることに十分注意しておこう。
 ウィーン体制のもとで、ヨーロッパ各国での市民の自由を求める自由主義の動きと国民統合を求める国民主義(ナショナリズム)の動きは抑えられていたが、それらの動きが爆発した一連の1848年革命は市民革命の延長線上にあるといえる。しかし、フランスの二月革命に見られるように、同時に市民内部の資本家層と労働者層の対立という新たな対立軸の萌芽が現れてくる。
 ヨーロッパの東端にあり、絶対王政が最も強固に残存し、市民層の成長が最も遅れていたロシアでは、19世紀末からようやく革命運動が起こってきたが、最初から市民革命の要素と社会主義革命の要素を混在させたところに特徴があった。1917年の第2次ロシア革命の過程で起こった二月革命(三月革命)は市民革命的な意義付けができるが、その年のうちに起こった十月革命(十一月革命)では一気に社会主義革命に突きすすんでいった。

アジアの市民革命

 なお、「市民革命」をヨーロッパ以外の世界で当てはめようとすると、ズレが生じてくる。たとえば日本の明治維新は「市民革命」といえるのかどうか、「絶対主義」の成立と言うのが正しいのではないか、などの古くから議論があるが、単純に比較することは出来ない。中国でも「辛亥革命」は一般に市民革命とは捉えられず、1924~27年の国民革命が市民革命に近い。それについても、毛沢東は不十分だと見ており、その「新民主主義論」では1949年の中華人民共和国の建国からの当面の課題が中国独自の市民革命であると捉えている。アジアにおける革命は、民族独立の要素が深くなっている。
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ノートの参照
9章1節 イ.イギリス革命