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英仏通商条約(1860)

1860年、ナポレオン3世がイギリスと締結した条約。これにより西欧での自由貿易体制の原則が成立した。

フランスの第二帝政時代のナポレオン3世が、極秘裏にブレーンのサン=シモン主義者の経済学者シュヴァリエとイギリスのコブデンとの交渉に当たらせて締結したので、コブデン=シュヴァリエ条約ともいう。フランスは関税率を大幅に引き下げ、輸入禁止措置の撤廃などイギリス側の自由貿易主義の要求に応じたもので、ナポレオン第一帝政以来の保護貿易政策を転換させるおおきは変更であった。ナポレオン3世がイギリスの要求に応じた理由は、一つにはイタリア政策で冷却していたイギリスとの関係の修復という狙いもあったが、彼自身が古典派経済学やサン=シモン主義の影響を受けて、フランス産業の近代化を図る必要を感じており、保護貿易から自由貿易に転換するチャンスを狙っていたことがあげられる。この貿易自由化は、産業資本家の支持を受けている議会の反対を受けることが予想されるので、ナポレオン3世は交渉も秘密で行い、憲法に基づく皇帝の大権を行使して締結した。
 なお、1786年の英仏通商条約もあり、こちらはイーデン条約といわれており、フランスがイギリス工業製品の輸入を認めた条約で、産業革命中のイギリス工業製品がフランスに輸出されたため、フランスの遅れた工業ださらに打撃を受け、フランス革命の一因となったとされている。

自由貿易原理の国際化

 1860年、英仏通商条約が締結されたことで、イギリスで1830年代に成立した自由貿易の原理が、国際秩序となる道が開けた。イギリスはついでスイス・ベルギーなどとも自由貿易原理に基づく通商条約を締結し、その国際化を促した。ただし、まもなく80年代の不況期には各国が保護貿易に戻るので自由貿易原理が不動の原則になったわけではない。ドイツでは保護貿易主義を主張するリストなどの経済理論が有力であった。一方、イギリスは40年~50年代、中国・日本に自由貿易を武力を背景に押しつけ、さらにインド植民地でも自由貿易原則を導入していく。

フランス産業革命の完成

 フランスではイギリスとの自由貿易が開始された結果、30年代に始まった産業革命がさらに進み、手工業的な産業は淘汰され、資本の集中、独占が進行した。1850~60年代に鉄道の建設、定期大西洋横断航路の開設など交通機関が発達し、農村から工業都市への労働力の移動が顕著となった。農村も輸出用ワインの生産など企業的な農業が主となっていった。こうして1860年代はフランスの産業革命が完成期に入ったと言える。こうしえ60年代にはフランスには、当時アメリカとオーストラリアで発見された金鉱からの金が流入したこともあって投機的な株式ブームが起こった。しかしナポレオン3世の統治の終わりに近づいた1867年、早くもフランスは恐慌に見舞われた。これは60年代の自由貿易への転換がもたらした好景気・過剰投資への反動であり、国内では保護貿易への復帰を求める声が強くなる。
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ノートの参照
第12章2節 エ.第二帝政と第三共和政