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自由主義的改革(イギリス)

1820~40年代のイギリスにおける一連の自由主義改革。ウィーン体制下の大陸諸国と異なり、政治や経済の自由化・平等化が進んだ。

 19世紀前半の20年代から40年代にかけて、ウィーン体制の時期のイギリスは、ナポレオン戦争の痛手から回復し、前世紀からの産業革命がさらに進展して産業資本家が進出、並行して労働者階級も成長してさまざまな権利を要求するようになった。特に1830年のフランス七月革命によって絶対王制が打倒されたことに影響されて諸改革が進んだ。政治面ではホイッグ党(自由党)が有力となり、自由主義的な改革を主張するようになった。この間ホイッグ党(この頃から自由党と称するようになる)のグレー内閣のもとでいくつかの改革が実現し、その後のトーリ党(このころから保守党と称するようになる)内閣もその路線を継承したので、この時期にイギリスの経済と政治両面での改革が進んだ。これによってイギリスは資本主義の自由な市場経済原則と、議会制民主主義という近代社会の二本の柱を確立させ、次の19世紀後半のヴィクトリア朝時代の繁栄をもたらすこととなる。この時期の自由主義的改革には次のようなものが挙げられる。

カトリック教徒の平等の実現

 オコンネルら、カトリック教徒の運動が成果を上げ、1828年にトーリ党のウェリントン内閣によって審査法が廃止され、さらに1829年カトリック教徒解放法が成立した。これによって非国教徒およびカトリック教徒も公職就任ができるようになった。しかしカトリック系住民が多数を占めるアイルランドでは独立問題がおこったが、その解決は持ち越された。

選挙制度の改正

 1832年第1次選挙法改正で、産業資本家の政治参加が実現した。しかし、労働者階級への選挙権付与は無かったので、30年代後半からチャーティスト運動が始まった。

自由貿易政策

 コブデンブライトら、反穀物法同盟の運動が盛んとなり、1846年穀物法の廃止が実現し、さらに1849年には航海法が廃止された。それより前、1833年8月に奴隷制度廃止法が成立(奴隷貿易禁止法はすでに1807年に制定。)また、ほぼ同時の1833年8月には東インド会社の中国貿易独占権も廃止された。
 これら一連の政策によって、絶対王政時代以来の重商主義(保護貿易主義)は終わり、自由貿易主義の政策が採られることになった。それによってもたらされた1840~60年代のイギリスの繁栄は、最近では「自由貿易帝国主義」という概念で捉えられている。<川北稔・木畑洋一編『イギリスの歴史―帝国=コモンウェルスの歩み』2000 有斐閣アルマ p.122>

社会政策の改良

 1824年に団結禁止法が廃止され、労働組合が多数結成されるようになった(法的公認は1871年の労働組合法制定)。1833年8月末には一般工場法が制定され、労働者保護の立法措置が行われた(その後も改良が続く)。
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