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ダヴィド

18世紀末~19世紀、フランスの古典主義絵画の代表的作者。

フランス革命からナポレオン時代の代表的な画家で、古典主義(新古典主義という場合もある)の様式を確立した。何よりも彼は革命派としてフランス革命の現場にかかわり、まるで記録写真のように多くの出来事や人物を描いている。「球戯場の誓い(テニスコート)」は革命の発端となった三部会の情景を伝えており、マリーアントワネットの処刑や、マラーの死などを題材として描いている。彼はロベスピエールに心酔して、自ら国民公会の議員に選出され、さらに1794年の協力して「最高存在の祭典」を演出している。テルミドールのクーデタで捕らえられ、入獄したが、ナポレオンに深く取り入ってその主席画家として「ナポレオン1世の戴冠式」その他の作品を残している。ナポレオンの没落によってダヴィドもベルギーに亡命したが、その古典主義の様式は弟子のアングルに継承された。

出題

 07年 成城大(経) ダヴィドについて述べた次の文の空欄に入る語句を答えなさい。(一部改訂)
1791年に描かれたダヴィドの代表作のひとつ「( 1 )の誓い」は、1789年5月の歴史的事件を絵画として記録しようとした国民議会の後援を得たものであった。やがてダヴィドは、直接に政治の世界に足を踏み入れ、1792年9月、( 2 )の議員に選出されたのである。国王ルイ16世の裁判においても有罪とする投票を行った。また、ジャコバン派の( 3 )とも親しい間柄となり、公教育委員会の有力メンバーとして、93年の「8月10日の祭典」の総監督、94年6月の「最高存在の祭典」の演出をつとめるなど、さまざまな革命の祭典の準備に携わった。この間、ジャコバン派の指導者であった( 4 )が93年7月に暗殺されると、ダヴィドはその葬儀の責任者となり、同時に自らその死を描いた。テルミドール9日の反動によって( 3 )が失脚すると、ダヴィドは、処刑は免れたものの1年あまりの獄中生活を余儀なくされた。その後、王党派から命を狙われていたダヴィドは、( 5 )に接近し、その「アルプス越え」など、かれを称える絵画を制作し始めた。1804年、( 5 )が皇帝に即位すると、その主席画家の称号を与えられ、その戴冠式を描いた。しかし15年、復古王政の時代になると、ダヴィドはブリュッセルに亡命、この地に没した。

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ノートの参照
第12章4節 ア.ロマン主義と自然主義