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古典主義(文学)

文学上では17世紀フランスに始まり、18~19世紀初頭のイギリス、ドイツで展開した。。

 キリスト教の理念ではなく、ギリシアやローマの古典に範をとり、調和や中庸と言った市民的価値観を表明する文学上の潮流を古典主義という。一般的には、ブルジョワジーの成長を背景として、啓蒙思想に触発された革新的な意味合いが強かったが、次に台頭してくるロマン主義に対しては保守的な傾向と捉えられる。
 また、その先駆的な作品は17世紀フランスに見られるが、それは宮廷文化と深く結びついていた。18世紀の市民革命・産業革命を受けて、個人の自由をや精神の高みを追求するロマン主義へと転化していく。またドイツにおける古典主義は、ゲーテシラーによって代表され、その頂点をなしているが、市民社会の発達が十分でなかったドイツ社会という制約を受け、次第に観念的な傾向を強めていった。

・17世紀フランス

 古典主義はまず17世紀フランスのブルボン朝時代に、宮廷において開化した貴族文化のひとつとしての演劇から始まった。これらはギリシア古典の悲劇や喜劇を範としていたが、活力ある庶民生活を題材とし、貴族社会を風刺する内容であった。代表的な作家には、ルイ14世の宮廷で活躍したコルネイユ、ラシーヌ、モリエール(『タルチェフ』『人間嫌い』)の「三大劇作家」がいる。

・18世紀末~19世紀ドイツ

 1770年代のドイツで、従来の道徳観や権威を否定し、自然とそこに生きる人間の個性の解放を目ざす文学運動が起こった。若いゲーテやシラーが展開した新しい文学運動は、疾風怒涛(シュトルム=ウント=ドランク)と言われた。代表的な作品はゲーテの『若きヴェルテルの悩み』(1774)、シラーの『群盗』(1781)であろう。しかしこの運動は次第に観念的な傾向を強めて現実から遊離し、文学運動としては勢いを無くした。ゲーテは19世紀にはいると哲学的な思索を深め、その人間観を『ファウスト』(1808,1832)に集大成させ、シラーは歴史を題材とした『ウイリアム=テル』(1808)などの劇作や『三十年戦争史』などの歴史研究を残した。
他分野の古典主義 なお、美術史上の古典主義は、主として18世紀末から19世紀のフランスで活躍したダヴィドやアングルなどの作風を言う場合が多い。また音楽史上で古典派とは、18世紀後半から19世紀初頭のウィーンを中心としたハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらの音楽を言う。 ⇒ ロマン主義 写実主義 自然主義

古典主義(美術)

美術史上の古典主義は18世紀末から19世紀初めフランスで展開された。

 17世紀ヨーロッパ美術では、イタリア・フランドル・スペイン・ドイツでバロック美術と言われる躍動的な表現が主流となっていた。さらにフランスではロココ美術が宮廷を中心に開化していた。フランスの絵画でもバロックの影響も強かったが、ニコラ=プーサン(1594~1665)のように、落ち着いた安定した様式を成立させ、ルイ14世の時に創設された芸術アカデミーが美術行政の中心となり「アカデミズム」を形成していった。この動きを古典主義の始まりと捉えられている。

ダヴィド

 本格的な動きは、18世紀末から19世紀はじめのダヴィド(1748~1825)から始まった。彼は、特権的なアカデミーの権威に反発し、フランス革命が勃発すると革命派に身を置き、ナポレオンに心酔して現実の出来事を写実的に描く作品を多数製作した。その画風はギリシアやローマの古典にみられる落ち着いた様式的な美を理想としながらも、きわめて現実的、写実的なフランス古典主義を大成したものであった。なお、17世紀の古典主義に対してダヴィド以後の古典主義を新古典主義と言う場合がある。

サロンの美術

 ダヴィドの古典主義を継承したのが19世紀のアングル(1780~1867)である。彼はサロンと言われた芸術アカデミーの展覧会を主催し、古典主義に批判的な作品に対しては冷淡であった。このようなサロン絵画の伝統と理性、形式を重んじる姿勢は、次第に権威主義的になっていった。若い作家の中には反発する者が現れ、ドラクロワらは古典主義の形式的表現を批判し、より自由で個性的な作品を発表するようになった。古典主義のサロン美術が政治体制ではウィーン体制の保守反動と結びついていると意識され、反発したロマン派の作家は政治的な反体制運動とも結びつき、ドラクロワは七月革命に自ら参加していった。この新しい潮流がロマン主義である。