古典主義(文学・美術・音楽)
文学上では17世紀フランスに始まり、18~19世紀初頭のイギリス、ドイツで展開した。中世的宮廷文学を継承しながら、市民革命の展開と共にブルジョワジーの意識を反映させるようになった。典型的にはゲーテやシラーの文学に見られる。美術、音楽の分野でも17世紀~19世紀に古典主義、古典派がうまれた。
キリスト教の理念ではなく、ギリシアやローマの古典に範をとり、調和や中庸と言った市民的価値観を表明する文学上の潮流を古典主義という。一般的には、ブルジョワジーの成長を背景として、啓蒙思想に触発された革新的な意味合いが強かったが、次に台頭してくるロマン主義に対しては保守的な傾向と捉えられる。
また、その先駆的な作品は17世紀フランスに見られるが、それは宮廷文化と深く結びついていた。18世紀の市民革命・産業革命を受けて、個人の自由をや精神の高みを追求するロマン主義へと転化していく。またドイツにおける古典主義は、ゲーテやシラーによって代表され、その頂点をなしているが、市民社会の発達が十分でなかったドイツ社会という制約を受け、次第に観念的な傾向を強めていった。
新古典主義の絵画 美術史の基本的な流れは、バロック美術に代わって18世紀に盛んになったのはロココ美術といわれている。バロック的な躍動感はさらに洗練され、繊細で装飾的な表現が流行し、絵画だけでなく、彫刻・建築・家具の造形にも及んだ。ロココ美術は18世期のヨーロッパ各国の宮廷で流行し、フランスにも及び、ブルボン王朝のマリ=アントワネットの周辺にもひろがった。しかし、18世紀末にフランス革命が起こり、19世紀初めのナポレオン時代へと続き市民社会への転換が起きると、ロココ美術への反動として、ダヴィドやアングルなどの作品に見られるような古典主義の様式の復活があらわれてきた。この18世紀末から19世紀に美術潮流を新古典主義と呼んでいる。
音楽の古典主義 音楽史上での古典派とは、18世紀後半から19世紀初頭のウィーンを中心としたハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらの音楽を言う。宮廷での王侯貴族の文化であった音楽が、広く市民階級に聴衆を拡げて行き、演奏家と共に作曲家が独立して個性的な作品を生み出し、「中世教会音楽」・「バロック音楽(バッハ、ヘンデルら)」から、いわゆる「クラシック音楽」へと展開していった時代だった。 ⇒ ロマン主義 写実主義 自然主義
また、その先駆的な作品は17世紀フランスに見られるが、それは宮廷文化と深く結びついていた。18世紀の市民革命・産業革命を受けて、個人の自由をや精神の高みを追求するロマン主義へと転化していく。またドイツにおける古典主義は、ゲーテやシラーによって代表され、その頂点をなしているが、市民社会の発達が十分でなかったドイツ社会という制約を受け、次第に観念的な傾向を強めていった。
17世紀フランス
古典主義はまず17世紀フランスのブルボン朝時代に、宮廷において開化した貴族文化のひとつとしての演劇から始まった。これらはギリシア古典の悲劇や喜劇を範としていたが、活力ある庶民生活を題材とし、貴族社会を風刺する内容であった。代表的な作家には、ルイ14世の宮廷で活躍したコルネイユ、ラシーヌ、モリエール(『タルチェフ』『人間嫌い』)の「三大劇作家」がいる。18世紀末~19世紀ドイツ
1770年代のドイツで、従来の道徳観や権威を否定し、自然とそこに生きる人間の個性の解放を目ざす文学運動が起こった。若いゲーテやシラーが展開した新しい文学運動は、疾風怒涛(シュトルム=ウント=ドランク)と言われた。代表的な作品はゲーテの『若きヴェルテルの悩み』(1774)、シラーの『群盗』(1781)であろう。しかしこの運動は次第に観念的な傾向を強めて現実から遊離し、文学運動としては勢いを無くした。ゲーテは19世紀にはいると哲学的な思索を深め、その人間観を『ファウスト』(1808,1832)に集大成させ、シラーは歴史を題材とした『ウイリアム=テル』(1808)などの劇作や『三十年戦争史』などの歴史研究を残した。他分野の古典主義
美術分野のフランス古典主義 美術の分野では、17世紀のフランス美術を古典主義とすることが多い。ただし、西欧美術史では17世紀はバロック美術の時代とされており、イタリアのカラヴァッジョ・フランドル(南ネーデルラント)のルーベンス、ファン=ダイク・オランダ(北ネーデルラント)のレンブラント、フェルメール・スペインのベラスケスなどが挙げられる。ところがフランスのニコラ=プッサン(1594~1665)は、バロック絵画の影響を受けながら、イタリアのラファエロらのルネサンス絵画を学び、ギリシア神話や聖書に題材を求め、バロック的強調から離れた沈静した画風を作り上げた。この画風は一般に古典主義様式の美術の始まりと言われている。この時代のフランスではルイ14世の時に創設された芸術アカデミーが美術行政の中心となり、美術の「アカデミズム」を形成していった。この17世紀フランス絵画の古典主義は美術アカデミーを中心とした画壇の主流となって、次第に権威的になっていった。ただし、ルイ14世が造営したヴェルサイユ宮殿は古典主義の範疇には収まらず、バロック様式の建築の代表的な例とされている。ただし、西欧美術史の概説書では、フランス古典主義は独立した美術潮流として扱われていない。<高階周爾『カラー版西洋美術史』p.111>新古典主義の絵画 美術史の基本的な流れは、バロック美術に代わって18世紀に盛んになったのはロココ美術といわれている。バロック的な躍動感はさらに洗練され、繊細で装飾的な表現が流行し、絵画だけでなく、彫刻・建築・家具の造形にも及んだ。ロココ美術は18世期のヨーロッパ各国の宮廷で流行し、フランスにも及び、ブルボン王朝のマリ=アントワネットの周辺にもひろがった。しかし、18世紀末にフランス革命が起こり、19世紀初めのナポレオン時代へと続き市民社会への転換が起きると、ロココ美術への反動として、ダヴィドやアングルなどの作品に見られるような古典主義の様式の復活があらわれてきた。この18世紀末から19世紀に美術潮流を新古典主義と呼んでいる。
音楽の古典主義 音楽史上での古典派とは、18世紀後半から19世紀初頭のウィーンを中心としたハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらの音楽を言う。宮廷での王侯貴族の文化であった音楽が、広く市民階級に聴衆を拡げて行き、演奏家と共に作曲家が独立して個性的な作品を生み出し、「中世教会音楽」・「バロック音楽(バッハ、ヘンデルら)」から、いわゆる「クラシック音楽」へと展開していった時代だった。 ⇒ ロマン主義 写実主義 自然主義
新古典主義(美術)
美術史上、17世紀にフランスで美術アカデミーを中心に展開された古典主義に対し、18世紀の流行したロココ美術を否定して18世紀末から19世紀にかけて興った古典的様式を復興させた美術様式を新古典主義と言ってる。主な作家にはダヴィドやアングルがいる。
17世紀ヨーロッパ美術では、イタリア・フランドル・スペイン・ドイツでバロック美術と言われる躍動的な表現が主流となっていた。しかし、フランスではブルボン朝ルイ14世の宮廷で古典主義の美術が主流となっていた。そのなかでもニコラ=プーサン(1594~1665)はバロックの影響を受けながらも落ち着いて安定した古典主義様式を成立させ、ルイ14世の時に創設された芸術アカデミーが美術行政の中心となり「アカデミズム」を形成していった。どちらかというとキリスト教的主題よりもギリシア神話を題材として人物や風景を描くことが多く、この作風は古典主義の始まりと捉えられている。
一般に古典主義は「クラシック」と表現されるが、絵画を中心とした美術史の時代区分では、17世紀フランスのアカデミーを舞台とした美術を古典主義という。もう一つの大きな潮流であったバロック美術に次いで、18世紀になるとよーっぱかっこくの宮廷でロココ美術が流行し、洗練された装飾性が新たな美術潮流となった。それに対して、その貴族趣味や没道徳性を批判して興ったダヴィドやアングルに始まる新様式を「新古典主義」(ネオクラシック)とすることが多い。時代は絶対王政から市民革命を経て市民社会が形成されていく転換期であった。西欧美術史の概説書では、新古典主義の美術は、近代の美術の冒頭で説明され、続いてロマン主義・写実主義に移っていくとされている。<高階周爾『カラー版西洋美術史』p.126>
一般に古典主義は「クラシック」と表現されるが、絵画を中心とした美術史の時代区分では、17世紀フランスのアカデミーを舞台とした美術を古典主義という。もう一つの大きな潮流であったバロック美術に次いで、18世紀になるとよーっぱかっこくの宮廷でロココ美術が流行し、洗練された装飾性が新たな美術潮流となった。それに対して、その貴族趣味や没道徳性を批判して興ったダヴィドやアングルに始まる新様式を「新古典主義」(ネオクラシック)とすることが多い。時代は絶対王政から市民革命を経て市民社会が形成されていく転換期であった。西欧美術史の概説書では、新古典主義の美術は、近代の美術の冒頭で説明され、続いてロマン主義・写実主義に移っていくとされている。<高階周爾『カラー版西洋美術史』p.126>
ダヴィド
本格的な動きは、18世紀末から19世紀はじめのダヴィド(1748~1825)から始まった。彼は、特権的なアカデミーの権威に反発し、フランス革命が勃発すると革命派に身を置き、ナポレオンに心酔して現実の出来事を写実的に描く作品を多数製作した。その画風はギリシアやローマの古典にみられる落ち着いた様式的な美を理想としながらも、きわめて現実的、写実的なフランス古典主義を大成したものであった。なお、17世紀の古典主義に対してダヴィド以後の古典主義を新古典主義と言う場合がある。サロンの美術
ダヴィドの古典主義を継承したのが19世紀のアングル(1780~1867)である。彼はサロンと言われた芸術アカデミーの展覧会を主催し、古典主義に批判的な作品に対しては冷淡であった。このようなサロン絵画の伝統と理性、形式を重んじる姿勢は、次第に権威主義的になっていった。若い画家の中には反発する者が現れ、ドラクロワらは古典主義の形式的表現を批判し、より自由で個性的な作品を発表するようになった。古典主義のサロン美術が政治体制ではウィーン体制の保守反動と結びついていると意識され、反発したロマン派の画家は政治的な反体制運動とも結びつき、ドラクロワは七月革命に自ら参加していった。この新しい潮流がロマン主義である。