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ラーマ5世/チュラロンコーン

19世紀後半のタイ、ラタナコーシン朝の王。タイの近代国家の建設にあたり、大王と言われる。

タイ(シャム)のラタナコーシン朝第5代の王(在位1868~1910)。王子名がチュラロンコーン。ヨーロッパの近代国家の制度を導入、近代化に努め、イギリスとフランスの対立を利用して、独立を維持した国王として、現在も国民の敬愛を受けている。若い頃、イギリス人女性アンナから英語と世界の情勢を学んだことは有名。国王として親政を行い、法律の制定、教育制度や交通、郵便制度などの近代化を実現した。しかし、彼が王政を行っていた時期は、ヨーロッパ列強が植民地拡大から帝国主義に移ろうとしていた時期で、タイにとっても最も困難な時期であった。イギリスはビルマとマレー半島から迫り、フランスはベトナム・ラオス・カンボジアからタイ領をねらっていた。ラーマ5世はイギリスとフランスの対立を利用しながら巧みに独立を維持することに成功したが、反面、領土的には大幅な割譲を認めざるを得なかった。国家の独立と主権の維持の代償として、身を削ったことになる。彼はタイの最大で最高の学府、チュラロンコン大学に名をとどめている。

Episode ラーマ5世と明治天皇

 ラーマ5世の在位した1868年から1910年という年代をみて、気がついただろうか。そう、彼の在位期間は明治元年から明治43年に当たり、明治天皇のほとんど同じなのである。またいずれもこの時期の両国とも欧米の圧力を受けて開国しながら植民地化の危機を脱し、国家・社会の近代化を進め、条約改正に努力したことも、共通している。そんなこともあって、タイと日本の皇室は親近感を感じているらしい。しかし、明治の日本が富国強兵から軍国主義に傾斜していくことになり、その後の歩みはかなり違うものとなった。
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ノートの参照
第13章2節 ウ.東南アジアの植民地化