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中国の銀の流出

イギリスによるアヘン密貿易によって中国の銀が海外に流出し、清朝の財政を悪化させた。

明清時代を通じ、朝貢貿易の形式での海外貿易により、中国に多くのが流入した。ヨーロッパ産の銀とならんで15~16世紀には日本銀も勘合貿易によって大量にもたらされた。続いて16世紀後半からはメキシコ銀がフィリピンなどを通して流入し、広く用いられるようになり、清朝の17世紀末からは海禁が緩和されたこともあってさらに銀の流入が続き、税制も地丁銀制に改められた。

銀の流入から流出へ

 しかし、18世紀後半になるとイギリスとの貿易が拡大すると、イギリスは自由貿易の拡大を求めて三角貿易を展開し、インド産のアヘンを盛んに密輸するようになった。そのため、輸入超過に陥り、1827年を境に逆転して、銀が流出するようになった。その結果、銀が高騰して清朝の財政を圧迫し、同時に経済を不安定にした。
(引用)1838年に中国がアヘン輸入の対価として支払った約2000万スペインドルは中国の通貨では1400万から1500万両に当たるが、当時の清朝の一年の歳入が4000万両前後であった。また茶葉の輸出によって得られた銀が約2000万スペインドルであったので、それがすっかり逆流出することになり、茶葉の輸出が減少すれば、銀は一方的に流出することになる。それは清朝財政を圧迫し、増税と物価高が民衆を苦しめることになる。<陳舜臣『実録アヘン戦争』中公新書 p.45-47 中公文庫にもあり>

銀の高騰と民衆

 清では銀本位制が採られ、税はで納められたが、庶民が日常的に使用していたのは銅銭であった。そこで人々は銅銭を銀に換えて税を払う必要があった。その交換レートは銀1両が銭1000文であった。ところが、19世紀にアヘン貿易の代価として銀が海外へ大量に流出すると、「銀貴銭賎」すなわち銀の値段が高騰して1両あたり2000文以上になった。つまり事実上の増税となった。
 また、アヘン戦争での戦費調達や賠償金支払いのために、清朝は豊かな東南の沿岸部から規定の数倍にのぼる税を取り立てようとした。その負担は身内に官僚や科挙合格者のいない庶民に集中した。アヘン戦争の無惨な敗北によって清朝の権威が揺らぐと、不公平の是正を求める人々が納税を拒否したり、私腹を肥やしていた役人を襲撃する抗糧暴動が多発した。江南地方では地主に小作料を納入しない抗租運動が広がった。これらの人々の不満を吸収したのが太平天国であった。<菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』中国の歴史10 講談社 p.33 など>
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ノートの参照
第13章3節 東アジアの激動
書籍案内

陳舜臣
『実録アヘン戦争』
中公文庫